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油断

 孤蝶はもう征牙が来ると思っていなかった。

 なぜなら昨日の「気を許すわけではない」といった後の表情が非常に冷ややかで孤蝶に飽きたような雰囲気を漂わせていたからだ。
 そう思って、服を着替えずにベッドの上で考えごとをしていた。

 今、血濡れの蝶は何をしているだろうか。蝶妃がうまくしてくれていると思うのだが、聖蝶、秘蝶、黒蝶、襲蝶。四人をまとめるだけの実力を蝶妃が持っているのは知っている。

 そして彼女も首領になれるだけの器があることも知っている。ほぼ、一言でいえば私がいなくてもいいのだ。それでも彼女は私を慕う。何故かはよくわからない。

 血濡れの蝶は非常に優秀だ。男だけのグループよりもはるかに。臨機応変、適材適所。そして、一人一人は身をわきまえている。女である事は特に武器になる。誘惑……つまりハニートラップも簡単にできる。しかし女である事は短所も生むのだ。力ではどんなに鍛えても男にはかなわない。これは生物学的なものであるから覆すことは出来ない。力の代わりに頭脳を、脅迫の代わりに誘惑を。そう私は教えてきたつもりだ。それはもろ刃の剣であり、危うい。

 諸刃の剣だとわかっていても、私は構成員に語り掛けていた。
『男にできないことを女は出来る。だから私たちは美しく、そして……血にまみれているのだ』

 そう言って信じてくれた人が私の仲間。嘘を信じて仲間になったのであるから、本当は仲間と呼ぶ存在では互いにないのだろう。
 私に仲間はいない。いつも一人で一人でいたくなから空回りをしている。一人がつらくも苦しくもない。ただただ……物悲しいだけなのだ。

コンコン
 ノックの音が静かな部屋に響いた。孤蝶はハッと顔をあげた。
「誰?」
 鋭く聞くと扉の奥から
「俺だ」
 と言う、征牙の声がした。
「何か用?」
 孤蝶は口調では冷静に、しかし内心自分の恰好を見て慌てながら言った。
「別に。話したいと思ってきた。開けるぞ……」
「まっ!」
 待ってと言おうとした。しかし声が届く前に扉が開いた。

 孤蝶は自分の恰好を再確認した。
 白のネグリジェ。髪は梳いていないが、寝癖はない。はずだ。そして今起きましたと物語るような自分の位置。気が抜かれ過ぎた様子だ。孤蝶は一瞬の間に絶望した。

「アッ」
 征牙は孤蝶の姿を見つけたらしく、急激に耳を真っ赤にした。こういった不自然なほど初心な様子にはいつも疑問を感じる。
「す、すまない。出直す」
 征牙はそう言いながら部屋を出ようとした。
「待ちなさい」
 孤蝶はやけになって行った。なんとなく負けた感じがして気に入らない。
「何だ」
 征牙は努めてこちらを見ないようにしながら言った。

「別にここにいていいけど? わざわざ気を使っていただかなくても結構よ」
 孤蝶はそう言いながらいつものシャツをネグリジェの下から着始めた。そして一度も下着を見せることなく、着替えを済ました。ネクタイを締めていると扉の端に突っ立っていた征牙が歩いてきて、ソファに座った。
「お前、仮にも女だよな」
「見ればわかるでしょう」
 征牙の物言いに少しイラつきながら孤蝶は言った。お前が無神経に扉を開けるからだろうと思ったがそれは言わないであげることにした。

「わかるけど。ああ、それとこれ」
 そう言って征牙は一冊の本を渡してきた。
 孤蝶がそちらを見ると、昨日話題にしていた本だった。
「ありがとう」
 孤蝶はそう言って、受け取った。
「それと、一つ言いたいんだが……」
 孤蝶は続けるよう頷きながらソファの向かいの椅子に座った。
「俺はここにいるときは『征牙』だ。銀蛇のボスだったら、こんな口調で話さない。それにお前なんかと話す義理もない……もっと気を抜け。緊張してるやつを見るのは嫌いだ。で『征牙』は格段とお前に興味がある。だから、別に油断しろとは言わないが、無駄な気を遣うな。見ている方がイライラする。それだけだ」

 征牙はそういうと白い髪をそっと撫でた。黒いひと房の髪が目にかかる。彼今日は一際さえた黒のスーツに青のシャツ。彼の細身の体を強調しつつも品が良く、ネクタイをしていなくても漂う理知を感じた。服装はいたって上品。しかし、本人が冷ややかな顔で、見下すようにこちらを睨んでくるなら話は別だ。言っていることは優しいの部類に入ると思うのだが、顔と合わなさすぎる。

「いいでしょう。お望み通りに」
 孤蝶はそういうとゆっくりとネクタイを外した。ネクタイは首元が締まって、どうしても好きにはなれない。
「私もそれなりに警戒をするのをやめてあげる。でも、ここで話したことを他言すれば……まあ。覚悟することね」
 孤蝶がそういうと征牙はニコリと訂正、にたりと笑った。
「それでいい」
 征牙はやっと少しだけ表情を緩めた。
 
 征牙は自分が何をやっているのかとうろたえていた。
 自分がしゃべっているのを遠くから見ているような感覚になっている。
 こんなに親しく近づいたら後で苦しくなるのは自分だというのに……

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