始まりのダンス(12)

「私と踊っていただけますか?」
 紅夜は嬉しそうにはにかみつつも、そしてなぜか寂しそうな顔をしながらうなずいた。
「はい」


 また令嬢たちの視線が強くなったが、今度は憎しみというより羨みと言った感じだ。
 ワルツが流れてきた。オーケストラが来ているらしくその音色は豊かにホールに響いた。
 冷雅は紅夜をホールの中の方に連れて行った。羅貴も後ろにいる。ステップを踏み出した時、冷雅はまた不審に思った。もと暗殺者がなぜこんなにも優雅にしかも作法に乗っ取った踊りをしているのだろう。
「先ほどはありがとう」
 紅夜が冷雅に一際近づいたときに言った。
「何もしていないが」
 冷雅が囁き返した。
「そう。ならそういう事にしておきましょう」
 リフトすると周りからどよめきと拍手が起こった。


「ダンスがお上手ね」
 紅夜が面白がるように言いながら降りた。
「それは作法の一つだからな」
 冷雅は平然と言った。
 紅夜が自分の前でくるくると回転した。青のドレスがひらひら舞っている。何か思いだしたような気分になった。昔どこかで見たような。
「それじゃあ。令嬢たちにもしてあげたらいいのに」
 紅夜はまた冷雅と腕を組みながら言った。
「面倒だ」
 冷雅の答えに紅夜は吹き出していた。
「それはそれは」
 紅夜の自然な笑みを見て冷雅はまた既視感をおぼえた。


 曲が終わった。また一礼すると羅貴が手招きしているのが見えた。
「楽しそうだったね。次は僕と踊ってよ」
 羅貴が紅夜に手を差し出した。
「喜んで」
 紅夜はほほ笑みながら羅貴について行った。自分と踊った時よりも緊張していないというか、明るい顔だった。
 次は先ほどよりも軽快なワルツだった。
 男たちの目線がぎゅっと冷雅に恨みを込めて集まっていた。
「美しいステップだね」
「そうですか?」
 羅貴と紅夜は親し気に、しかも笑いあっている。リフトするたびに羅貴と紅夜がほほ笑み合うのを見て冷雅は落ち着かない気分になった。
「美しい」
 羅貴が紅夜の耳に囁いた。それを冷雅は戦うときに使う聴力で聞き取った。
「ドレスに虫が付いていなくて幸いでした」
「ドレスがじゃないよ。君がだよ」
 羅貴がさらに紅夜の首筋に顔を近づけて言った。紅夜の耳がポッと赤くなった。
 確かにあの美しい軽快な魅力をたたえながらもどこか意味深な瞳を見て赤面しなかった女性は見たことがない。
「本当に魅力的な淑女(ひと)だね」
 羅貴がもうキスしそうなぐらい近づいて言った。紅夜の小さな顎を持っている。冷雅は本格的に止めに入ろうと身構えた。
「それはよかったです」

 紅夜はそういうと曲が終わったと同時にサッと羅貴のもとを離れてバルコニーに出て行った。羅貴は紅夜を面白がるような表情をしながら見送った。
「羅貴」
 冷雅はそして脇にあったワインを怒りを抑えるために飲んでから言った。
「はいはい。すみませんでした。だってあんなに美しい女性を誘惑しないなんて美男の罪だよ。つ・み。この若き二十歳の時に一人の女性を口説きもせずに終わるのはいささか寂しいではないか」
 羅貴が飄々と言った。なんども冷雅に女性を口説くことについて説教されている羅貴に対して冷雅はあきらめを込めてため息をついた。
「そんな表情するなよ。まあ元凶は僕だけどさ」
 羅貴も少し申し訳なさそうに言った。もちろん同じ過ちを繰り返さないという確証はない。


「それじゃあ、私が紅夜の様子を見てくる」
 冷雅はそういうと人混みをかき分けてバルコニーに出て行った。
「いってらっしゃい。僕の紅夜ちゃんを取らないでよ」
 冗談冗談。と付け足しながら羅貴が答えた。片手にはワイングラスが握られている。

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