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探り合い

 征牙は孤蝶の部屋の前で立ち止まった。今は夜の九時。起きているだろうが、入ってもいいものだろうか。軽くノックをする。
「はい」
 孤蝶の声が答えた。


 征牙は戸を開く。孤蝶は先ほどあった時よりもくつろいだ服装でソファに座っていた。シャツの胸元を緩めている上、スリットから白い足がほぼ丸見えの状態だ。興奮してくれと言わんばかりの服装だが本人はそれを自覚していないらしく涼し気な様子だ。
「何も必要なものはないだろう」
 征牙が言うと孤蝶は頷いた。
「さて、お前はそろそろ本性を現す気になったか?」
 孤蝶はゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってきた。黒髪がふわりふわりと揺れ、紅唇が艶めいている。こちらを見つめる目は鋭い。顔の距離が近くなってから孤蝶は口を開いた。


「本性を知って何になるのかしら?」
 孤蝶はそう言いながら征牙の頬に手を添える。一瞬のまに、グッと力を加え、顎を引かせられる。自分よりも身長の低い孤蝶と顔が真正面に向き合う。無理やり下を向かされるというのはこういうことなのだろう。
 力強い目と視線が合った。征牙は静かに口角をあげた。
「何にもならないな」
 孤蝶はゆったりとほほ笑む。


「そう。それはよかったわ」
 孤蝶はそう言ってまたソファに座った。ベッドの上にたたまれたコートが置いてあった。征牙は無言で座った。
「少し話をしよう」
 征牙はそう切り出した。

 孤蝶は目の前の征牙の顔を注意深く見つめていた。
「それで? 話とは?」
 孤蝶が言うと征牙はほんの少しだけ視線をそらした。
「俺の事を見た覚えはあるか?」
 孤蝶はなぜそんなことを? と思ったがためらわず
「ないわ」
 と正直に答えた。すると征牙は安堵したようなほんの少し寂しそうな顔をした。不可解な行動を見て孤蝶は切り返すことにした。


「では、私の事は?」
 征牙は表情をもとに戻していた。
「知っている」
 孤蝶は目を見開いた。
「なぜ? どこで私を見たのかしら?」
「教えないね」
 征牙はそう言ってこちらをじっと見つめてきた。白い髪と白い肌の中にあるせいで黒々とした目が余計に強調された。
「血濡れの蝶は高校の時にできた不良……いいや、影の権力者のグループだった。それをよくここまで大きくできたな」
 孤蝶は静かに聞いた。
「なぜそこまで知っている?」
 征牙はにたりと笑った。


「調べたからさ。お前も調べたんだろう? 孤蝶」
「ええ。もちろんよ」
 孤蝶はそう言いながらそっと視線を下にそらし、グッと上を見上げた。
「あなたたちの組織はここ一、二年でできたもの。しかし、構成員数は十年前からある組織と比べると倍近くいる。どうしてなのか知りたいものね」
 征牙はまたしてもにたりとさらに小気味よく笑う。
「そうだな。驚くのも無理はない。俺は俺のやり方で構成員数を増やしてきた。その方法を教えるほど間抜けではないがな」
 孤蝶は軽く頷く。


「別に、教えられても実践するほど浅はかな真似はしないけど」
 孤蝶はそう言ってから髪に触れた。サラリサラリと黒い髪が揺れる。しかし、一部白い筋がある。それだけが漆黒の中の唯一の白に見える。
 そして孤蝶はもう一つシャツのボタンを外した。谷間が見えるか見えないかのギリギリだったのが、豊満な孤蝶の二つの胸が作る、深々とした谷間が見えた。孤蝶はその後、何か行動を起こすこともなく征牙の方を悠然と見つめた。


「ふん、色仕掛けでもしてくるかと思ったら……」
 征牙の声が震えていた。今までどんなことがあってもたとえナイフを突きつけられたとしても動揺の色を見せなかった声が揺れている。その上、顔を背けて、耳を赤くしている。初心な少年のようだった。
「あら? 私が、あなたに? 色仕掛け? しても何ももらえないでしょう?」
 孤蝶は征牙の反応に軽く驚いた。マフィアのボスともなれば愛人の一人や二人、愛人ではなくとも、少しぐらいは経験のあるものだ。
「ふん……、煽るのも大概にしろよ」


 征牙はそういうとバッと立ち上がった。そして強引に孤蝶の腕を持った。孤蝶が振り払う前に征牙は孤蝶をベッドに押し倒した。シャラリと孤蝶のピアスが音を立てた。黒い天蓋がひらりと揺れ動く。
征牙の顔は思いつめたような表情をしている。孤蝶の手を掴みながら、征牙はゆっくりと孤蝶の唇に自分の唇を近づけた。


 しかし、そこで止まった。ふっと征牙は体を起こして、軽くほほ笑んだ。
「俺が危険を冒すと思うか?」
 征牙の顔は確かに笑っていたがまるで夢から覚めたような目をしていた。
 孤蝶は征牙という人間がよくわからなくなった。そしてベッドから起き上がる。私が思っていたよりは遅くやってきたがそれでもこちらを襲ってきたことに変わりはない。しかし……何もしなかったというのは……
 孤蝶が考えながらシャツのボタンを閉じていると征牙は大声で笑いだした。


「ハハハハハッ、せっかくの仕掛けが台無しになって悪かったな。でも、よくそこまでして相手を研究するな」
 孤蝶も確かに成功しなかったと思い、クスっと笑った。


「その通りね。仕方ないから、また別の方法で探って見せるわ」
「ほう。楽しみにしているよ」
 征牙もにやりと笑った。まるで子供がいたずらをする時のような顔だった。
 初めて二人は年相応の笑みを浮かべたのであった。

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