ジョン・コピラント「ブレンダと呼ばれた少年」

さてこれは内容は知っていたけど、初読。いうまでもなく、マネーの「性の署名」で紹介された話がはなはだしく事実と食い違っていることを追求したルポです。


包茎手術の失敗で、生後8か月の男の赤ちゃんの男性器が黒焦げになったことの後始末として、マネーが主導してその子を女性として育ててみる、という一種の人体実験を行いました。マネーはそれを大々的に「成功」として自著で紹介したわけですが、実はその「女性」は14歳の時に違和感に耐えれなくなって男性に戻り、この本の執筆時点では男性器再建手術を受けるなどして、女性と結婚していました。このデヴィッドの人生を追ったルポルタージュです。
ですからもちろん、実験は失敗でしたが、マネーは自説のキーになる証明にこのデヴィッドの件を据えていました。自説が崩壊するわけですから、マネーはまったく失敗に向き合おうとせずに、問題を悪化させていた、というあたりまで綿密に取材しています。少女として育てられましたが、このデヴィッドはまったく「少女らしく」ならなかったにもかかわらず、マネーは「女性として十分に適応している」として、造膣手術にまで無理やり持っていこうしていました。デヴィッドはこれを完全拒否。ほぼ孤立無援で「医学の権威」に抵抗し続けるわけです。「自分は男だ」とね。

このルポをもって、マネーが正規の治療法として確立した、性同一性障害に対するSRSの有効性を否定したがる向きがあるようです。私が読んだ扶桑社版は巻末に八木秀次なる人物が「ジェンダーフリーの"嘘"を暴いた本書の意義」なんて「解説」を載せてジェンフリ・バッシングをしていて、何かそういう変な誘導を狙った本、という評価をされる方もいるようです。
(↓こっちは扶桑社版。ダメな方だから、新本では買わないようにね!)

しかしね、このルポ自体には政治的な意図はなくて、客観的・中立的なルポです。マネーの理論の

性自認は生後の言語獲得期に確立されて、それ以降は変更できなくなる

は、この実験の失敗だけではなく、その他の積極的な根拠を大きく欠いていることもあって、現在で誤りとされています。そして、それに対するミルトン・ダイアモンドの説(今はこっちが定説ですが)

性自認は、胎内で浴びた性ホルモンによって確立され、誕生時にはすでに決定している

を紹介しています。言いかえると「性自認は性器によって決定される」とか「性染色体で決まる」というような俗論にはまったく立っていません。だから、逆に、性同一性障害ならば、

胎内で浴びた性ホルモンに、何らかの異常があるか、性ホルモンの感受性が悪いなどの理由があって、性器とは逆の性自認を持つことがある。その場合には、性器の方を外科的に変更するしかない

という結論だって、十分導き出せます。この本をもって、SRSやジェンフリを叩くのはかなりのムリがありますね....

この本を読んで、おばさまはどっちかいうと「フロイトの呪縛」みたいなものが強く印象的なのです。マネーが「言語獲得と性自認の臨界期を同一視する」のは、フロイト流の「口唇期」やら「肛門期」やらの幼児発達理論風のスキームに自らの根拠を埋め込もうとしたようにも感じます(フロイトのものとは相違がありますが、あれだって妄想的ですし)。でやはりフロイトでも性器のシンボリズムが強くありますから、たとえば「女児のファロス羨望」あたりで示されるような「理論」を前提にすれば、「ファロスがなければ、女性型の性心理が発達するはずだ」という結論を導き出せるわけでしょう?

いやいや、フロイトならば「いろいろな精神的なトラブルは、すべて幼児期の体験にその根源を持つ」という、一種の社会構築主義的な側面が、精神分析医の飯のタネになりつづけたあたりも見逃せないです。「親の育て方」を批判することで問題が解決する、とするならば、万能薬を手に入れたようなものですよ。「GIDは親の育て方が悪いせいだ!」フロイトだって、マネーだって、実はこの結論を導き出せてしまうわけです。困りますね。逆にミルトン・ダイアモンド側の説明なら、GIDだって胎児期の発達の問題になりますから、親を責めなくてすみますよ。こっちの方が、「人にやさしい」説明じゃあ、ありませんか?

私の場合、性器は男性でも、身体的にも心理的にも強く女性的で、「何でだろう??」と結構不思議に思っていたわけです。ジェンクリに行ったら、理由を教えてくれる....と思って診察を受けたのですが、どうもジェンクリも「SRSに向いた症例がきた」みたいに思ってるだけで、そりゃ染色体の検査やら性ホルモンの濃度やらは計りましたが、身体的な「なぜ?」あたりには関心が薄いようにも感じました。心理テストはいろいろしっかりやりましたけども、身体的なチェックはおざなり、くらいの印象を受けています。悪い意味で「精神科医」的、観念的な古いスタイルも感じないわけではないです。大学附属病院でしたから、古い「医局体制」を乗り越えた総合的な体制を作る、という話はありましたが、計画倒れでなかなかそういう組織にもならないようでしたね。

....まあ、ですが、マネーという人、「性解放」の時代の先端を駆け抜けた、相当に型破りなキャラだったようです。デヴィッドもマネーの診察で、あからさまな性行為などの話をされて、そうとう嫌な思いをしたようです。マネー自身はそれによって「性の偏見を打ち破る」つもりだったのでしょうけども、こういう経緯を経て自分の性について強い疑惑と劣等感を持っている子供には、本当にツラい体験だったとも思います。マネーからしたらフロイト流の抵抗を解除しようとするのですが、いやこれ、パワハラ以外の何物でもないわけです。実際私でも、男してた頃は自分の性別の話になると、凍り付きましたからね。嫌なものですよ。

とくにこのマネーは「性解放」の風潮の中でそれをリードした学者でもあります。もちろん学者といえども、時代の風潮に独立してあることは、意外に難しいことなのです。学問は「正しいイデオロギー」ではなくて、タダの「蓋然的によりよい方向に進むための、試行錯誤を許容する方法論の集まり」であった方が、ずっと健全なのだと思います。
理論には必然的に誤りがありえます。それを訂正しつつ前進するのが、科学というものですが、マネーの振舞いには大きな逸脱と間違いがあったことは、揺るがしえないでしょう。

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