もっと自分主体で生きれば居心地がいい。
年寄りの妄言と言われそうだけど「もっと自分主体で生きれば居心地がいいのに」と思ってしまった。
今日読んだコラムは、美人の定義の1つに「細いこと」があった時代の話だった。美しさを求める女性の中には摂食障害を発症する人もいる。医院を受診せずひそかに発症している人も多いはずだという話だったのだ。
それで「他人の目なんか気にしなきゃいいじゃん」という感想になってしまったのだけど…。
我が身を思い出してみれば、10代、20代のころはどれだけ異性受けするかが大きな尺度だったし、子を産んでからはどれだけいい親子であるかが尺度だった気がする。
他の誰かに「すてきね」「いいわね」「うらやましい」と言われるのは気持ちよかった記憶があるけれど、「どうしてこんなことまでせなあかんねん」と苦しい気持ちを抱えたシーンもあった気がする。
「もっと自分本位に。他人の目など気にしないで好きなように自分が考える美を追求すれば楽なのに」と思うのは、私がもう他人の目を気にしようがしまいがどうでもいい年齢だからかもしれない。
若かったころの私もそうだったし、他人から「美しい」と思われていたいという気持ちもわかる。
でも、それって自分自身を傷つけてまで手に入れるようなものなんだろうか。
「そんなこと言ったって、だってそうでなければ何のために美しくあればいいの?」なんて反論が聞こえてきそう。何なら、若いころの私もいいそう。
そういえば、若いころテレビ番組で女優さんが「もうね。年齢も年齢だから、自分の好きなようにしているの」とおっしゃっていたけれど、若いころの私には響かなかったなぁ。
それでもやっぱり、年寄りの小言といわれても言いたい。「そんなに他人の目を気にせんでも…。もっと自分主体で生きれば居心地がいいよ」と。
読んだコラム
「柳腰美人」
思ったことを箇条書きに
補足て華奢な人の方が美しい、美しくありたいから食事はしない
という不健康な美がもてはやされていた時代でしたね
神経性食欲不振症??摂食障害のことかしらね
幸い、私はそういうことにはならなかったけど…。
大衆受けをしなければならない職業の人は大変だなぁと思う。
「特定の誰かに美しいと感じてもらいたい」にしばられるから苦しいんだろうなぁ
40過ぎてから「自分が美しいと感じる方に全力投球」になって、生きやすくなったよね。私の場合は
自分の主張を決定
もっと自分主体で生きれば居心地がいい。
材料を書き出す
10代、20代のころはどれだけ異性受けするかが大きな尺度だったし、子を産んでからはどれだけいい親子であるかが尺度だった気がする。
他の誰かに「すてきね」「いいわね」「うらやましい」と言われるのは気持ちよかった記憶があるけれど、「どうしてこんなことまでせなあかんねん」と苦しい気持ちを抱えたシーンもあった気がする。
今日読んだコラムは、美人の定義の1つに「細いこと」があった時代の話だった。美しさを求める女性の中には摂食障害を発症する人もいる。医院を受診せずひそかに発症している人も多いはずだという話だった。
「もっと自分本位に。他人の目など気にしないで好きなように自分が考える美を追求すれば楽なのに」と思うのは、私がもう他人の目を気にしようがしまいがどうでもいい年齢だからかもしれない。
美しくありたい気持ちはわかるけれど、自分自身を傷つけてまで手に入れるようなものなんだろうか。
そういえば、若いころテレビ番組で女優さんが「もうね。年齢も年齢だから、自分の好きなようにしているの」とおっしゃっていたけれど、若いころの私には響かなかったなぁ。
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推敲して、ロジックを整える
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やり方が掲載されている記事
文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。
アイキャッチ画像は、wrtn を使って生成しています。
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