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(歴史)赤穂城の張出櫓

写真は赤穂城本丸天守台跡から見た櫓跡。
現在残るお城は本丸はとにかく、二の丸や三の丸は
市街地化していることが多いのですが、
赤穂城の場合は三の丸までしっかり縄張りがわかるのが
ポイントが高いところ。
一時学校だった時期もあったりしたこともあり
今まさにお城の復元が進んでいる場所も。
定点観測的に訪ねるのも楽しいお城です。

というわけで
先日何がすごいのかさっぱりわからない、と言われた
赤穂城の張出櫓。
正式な名称がよくわからないので「張出櫓」と勝手に名付けます。
例によって下手な絵で説明を。

まずはわかりやすく、実際の写真で。
二条城の東南隅櫓

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↑↑の写真は以前1度紹介した二条城の東南隅櫓。右奥に東大手門。
二条城といえば、な場所のひとつ。
城を取り巻く塀と櫓が直線的に並んでいるのがわかります。
 また、塀に狭間が見えません。

二条城の場合、実戦を想定して難攻不落のお城をつくる、というよりも
京の都の人々に武家の力を見せつけることに重点が置かれている城。
いかに立派に見せるか、という思想でつくられているお城だと思います。

赤穂城の三の丸大手門脇の隅櫓

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↑↑の写真も以前紹介した赤穂城の三の丸大手門脇の隅櫓。
二条城とは違い、堀に突き出るような形で築かれています。
見栄えでいうと、二条城のほうが美しい印象。
この形がなぜ採用されたのかというと。

↓↓へたくそな絵 その1

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見にくいですが、二条城のような櫓の配置だと、
 ※それぞれの狭間から狙える範囲をざっくり↑↑の絵の赤い部分とします。
攻める側が犠牲を覚悟のうえで門に殺到し、
鉄砲の下向きの角度の限界を超えてしまうと、
死角の中に入ることができ、次に門を破壊して
さらに城内に侵入を図ることになります。

↓↓へたくそな絵 その2

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赤穂城の三の丸大手門脇の隅櫓の場合です。
櫓が堀の中に張り出してつくられることで、
右の櫓から門に向かって横から射撃することが可能に。
これによって死角をなくしています。

攻め手側が門を破る際に櫓からの射撃に備えなければならず、
また、門を突破しても、この櫓を沈黙させないことには、
内部に侵入した攻め手への補給が妨げられることになります。

この形式にデメリットがあるとしたら
石垣の形状が複雑化するので築城コストがかかることと、
水堀に突き出す形になっているので、メンテ(掃除)が大変なこと。
大したことではないようですが、領民に城主の威厳を示すことも
城の重要な役割。見栄えを保ち続けることには苦労したのかもしれません。


以上、例によって下手くそな絵でわかりにくかったらごめんなさいです。
幸いなことに赤穂城で実戦が行われることはなかったのですが
もしもそういう事態に陥ってしまっていたら
その戦いはどう歴史に記録され、この城の防御がどう評価されたのか、
興味があるところではあります。

さしあたってカメラの修理か買い替えに充てられれば。