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これまでのHIV/AIDSの歴史

これまでのHIVの歴史的なことをお話したいと思います。
僕自身のHIVになってからの遍歴なども含めてお話しできればと思っています。

最初のAIDS患者とされる人は、保存血液の検査から1959年のコンゴ人の男性とされている。

1981年 アメリカで男性同性愛者にカリニ肺炎多発が報告され、全世界に
     AIDSへの警報が発せられる
1982年 AIDS(後天性免疫不全症候群)が命名される
     5大陸すべてでAIDS患者が確認される
1983年 仏モンタニエ博士と米国ギャロ博士がほぼ同時期にAIDSの原因ウイ
     ルスを分離、後にHIVと命名される
     男女間での性交渉によるAIDSの感染が確認される
     厚生省(当時)エイズ研究班を発足
1985年 第1回国際AIDS学会が米国アトランタで開催される
     日本でもAIDS患者が認められる
1987年 京都で第1回エイズ研究会(後に日本エイズ学会となる)開催
     日本で核酸系逆転写酵素阻害薬レトロビル®カプセル(ジドブジ
     ン)が発売になる
1988年 エイズ予防法が国会で成立

1991年 レッドリボンがAIDS啓発の世界的なシンボルになる
1992年 2剤併用療法が初めて導入される
1993年 厚生省(当時)、エイズ治療の拠点病院整備に着手
1995年 WHOに報告されたAIDS患者が100万人を超える
    核酸系逆転写酵素阻害薬Epivir(ラミブジン)を発売
1996年 国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)が発足し、10の国際連合専門
    機関の共同出資によりHIV/AIDS 対策に乗り出す
    国際エイズワクチン推進構想(IAVI)が発足し、HIVワクチン開発の
    スピードアップに取り組み始める
    HAART(Highly Active Anti-Retroviral Therapy)導入により、HIV感
    染者の長期生存が可能となる
    HIV訴訟和解成立
1997年 日本で核酸系逆転写酵素阻害薬エピビル®錠(ラミブジン)が発売
    になる
1998年 初めてのHIVワクチンの大規模臨床試験が米国で始まる
1999年 世界のHIV感染者は3300万人、AIDS死亡者は1400万人との推計が発
    表される
    AIDSが世界の死亡原因の第4位になる
    HIV感染者の90%は開発途上国に住むことが明らかになる
1999年 日本で核酸系逆転写酵素阻害薬ザイアジェン®錠(アパカビル硫酸
    塩)が発売になる
    日本でコンビビル®配合錠(ジドブジンとラミブジンの合錠)が発
    売される

2000年 日本で非核酸系逆転写酵素阻害薬レスクリプター®錠(デラピルジ
    ンメシル酸塩)を発売
2002年 世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)が発足
2003年 1年間で500万人が HIVに罹患し、300万人がAI DSで死亡する
    世界AIDSデーに、300万人を2005年までに治療するという「3x5
    Initiative」が採択され、治療へのユニバーサル・アクセス確保の重
    要性が示される
2005年 日本でエプジコム®配合錠(ラミブジンとアパカビル硫酸塩の合
     剤)が発売になる
     日本でプロテアーゼ阻害薬レクシヴァ®錠(ホスアンプレナビルカ
     ルシウム水和物)が発売になる
2006年  UNAIDSが、1981年からの世界のHIV感染者の累計は6500万人、
      AIDS死亡者の累計は2500万人と報告
     日本で報告された年次AIDS患者数が400人を超える
2007年 日本で報告された年次HIV感染者(AI DS患者を除く)が1000人を
    超える
     ファイザーが、初めての経口CCR5阻害薬 Selzentry(マラビロク)
     を発売。
2009年 日本でCCR5阻害薬シーエルセントリ®錠(マラビロク)が発売にな
    る
2010年 12月、インテグラーゼ阻害剤ドルテグラビルを日本で承認申請
2012年 5月、リルピビリンが承認される
2012年 6月、日本でリルピビリンが発売になる
2014年 4月、日本でテビケイ®錠が発売になる
    12月、日本でドルテグラビル/アバカビル/ラミブジンの配合剤を承
    認申請
2015年 4月、日本でトリーメク®配合錠を発売
2016年 8月、デシコビ配合錠が承認される
2017年 1月、日本でデシコビ配合錠が発売になる
2019年 3月、ビクタルビ配合錠が承認される
     4月、日本でビクタルビ配合錠が発売になる
     9月、ドウベイト配合錠が承認される
2020年 1月、日本でドウベイト配合錠が発売になる
2022年 5月、カボテグラビル錠、ボカブリア水懸筋注、リカムビス水懸筋
     注が承認される
     6月、日本でカボテグラビル錠、ボカブリア水懸筋注、リカムビス
     水懸筋注が発売になる

※僕が調べた限りでは、ということなので不足していたりする箇所があるこ
 とをご了承下さい。

これと併せて、僕自身は度だったのかというと、

1999年 2月、梅毒に感染していることが判明
     同時に行ったHIV検査でHIVの疑いがあることが判明し、国立国際
     医療センター病院(現 国立国際医療研究センター病院)を紹介さ
     れる
     3月、HIV陽性と判定される
     梅毒の治療、アメーバ赤痢の治療を行う
     5月、身体障害者手帳取得
     7月、HIVの治療開始(AZT(レトロビル)/ddI(バイデックス)
     /NVP(ネビラピン/ビラミューン)(非核酸系逆転酵素阻害剤)
     を服用)
      副作用にて入院、治療薬をddI → 3TC(エピビル)に変更
      8月、HIVの治療中断、A型肝炎で入院
2001年頃 HIVの治療再開(d4T(ゼリット)/3TC/NVPを服用)
2006年 国立国際医療センター病院 → 東京慈恵医科大病院に転院
     治療薬がなかったため、NVP→ ノービア、エジュラント(プロテア
     ーゼ阻害剤)に変更
     中性脂肪値上昇により、治療薬をノービア、エジュラント → NVP   
     に変更するため、東京慈恵医科大学病院 → しらかば診療所に転院
2008年 5月、うつ病になる
2013年頃 治療薬をネビラピン → エジュラントに変更
2013年 11月、障害者枠雇用で就職
2014年頃 仕事上の都合により、しらかば診療所 → 国立国際医療研究セン
      ター病院に転院
      治療薬をエジュラント → ネビラピンに変更
2017年頃 治療薬をネビラピン → DTG(テビケイ/ドルテグラビル)に変更
      治療薬をABC+3TC(エプジコム)/テビケイ の組み合わせ →        ABC(アバカビル)/3TC/テビケイ の組み合わせ
      にする
      問題ないことが確認できたため、治療薬をトリーメク配合錠
     (ABC+3TC+DTG)に変更
2018年 12月、うつ病再発
2019年 京都へ引越したことのより、病院を国立国際医療研究センター病院
     → 京都市立病院に転院
2020年  治療薬をトリーメク → ドウベイト(DTG+3TC)に変更
2021年 6月、大阪に引越したことにより、京都市立病院 → 国立大阪医療セ
     ンター病院に転院

といった感じになります。

僕自身、いろんな組み合わせの薬を飲んできたので、最新の治療を行ってきたと思っています。それと同時に、国立国際医療研究センター病院に通院していた頃の主治医が「当事者こそHIVの勉強をする必要がある」という考えでもあったので、HIVの予防啓発活動のボランティアを行っていたりもしました。そして、今、このようにネット上で発信することをするようになりました。

また、ボランティア活動をする中で、刺激を受け、目標としていた人もいました。その人に負けないようにということで、自分でも情報を取りに行くようにもなりました。

今、HIVは死に至る病ではなくなりました。これは、感染症の専門医とHIV陽性者、HIV陽性者を支援する人たちが頑張ってきたからだと思っています。

そして、HIV感染者が障害者手帳を持てるようになったのは、川田龍平さんをはじめとする薬害エイズの方々がいたからであり、訴訟を行って勝ち取っていただいたおかげです。

薬を飲んでさえいれば、HIVに感染しても普通の人と同じように生きていれます。でも、HIVになることを予防するのが最善だとは思っています。

国の承認は得ていませんが、抗HIV薬を飲んで予防するPrEPという方法でHIVんの予防が出来るようになりました。でも、これもHIV以外の性感染症に感染してしまえば、HIVになるリスクが高くなります。なので、最終的にはコンドームを使う必要が出てきます。

コンドームやPrEPを上手く活用し予防をして、あなたのセックスライフを楽しんでいただければと思います。

サポートよろしくお願いします。ご支援くださったたサポートは、今後のクリエイター活動だけでなく、今後の当事者支援に役立つ形にさせてもらいます。