「アフリカの夜」③八重子と史郎の電話

今年2月「ラマンチャの男」を観に上京した。と言っても、チケットはとったものの、コロナ感染で上演中止。それでも、せっかくホテルも新幹線も予約したんだからと、東京旅行には行くことにした。

御茶ノ水の「山の上ホテル」に宿泊したので、神保町の古本屋へ向かう。

シナリオ本と言えばの矢口書店で雑誌「ドラマ」1999年5月号を購入。「アフリカの夜」の1,2話が載っていたからだ。以前ネットで検索してたら、7話だったかな?アフリカの脚本が万単位で取引されていた。さすがに万では手が出ない。

その中で脚本の大石静さんの言葉が紹介されていた。

 セリフは耳で聞くもので、テレビの場合、一発で理解できる分かり易いものでないと、チャンネルを変えられてしまう可能性があると言うのが、これまでの常識だったが、山口雅俊プロデューサーは、かなり難解なセリフも、長いディスカッションも許容するし、それを敢えて要求して来るプロデューサーだ。
 そういう意味で、この「アフリカの夜」は、私にとって新しい試みに挑戦できた意味深い作品である。
(中略)
 視聴者が、ドラマにもバラエティーにも瞬間の刹那を求めるようになって久しいが、「アフリカの夜」は、時間が経っても、じんわり心にしみる作品になればと念じている。

映人社「ドラマ」1999年5月号

「アフリカの夜」放映された1999年から23年が経った。時を経ても、私の中にずっと生き続けている。矢口書店でこの言葉を見つけたあの日、23年の時を超えて繫がった気持ちになった。

第1話
人生をやり直すためにメゾンアフリカに引っ越した八重子。居場所を突き止めた火野史郎。八重子へ電話をかける火野との場面がぐっとくる。

八重子「一流の銀行員の妻になって安定したい、守られたい……それがしあわせだって思ってたから、そのしあわせを与えてくれるあなたを、愛してるって思い込んでたの。プロポーズをしてくれた贅沢なフレンチレストランや、一緒に住むはずだった佃の高層マンション。そんなものに、一瞬惑わされていただけ。……みんな幻想だったのよ。あたしにとって一番大事なことは、そんなことじゃないの、一番欲しかったものは、そんなことじゃ」
史郎「(遮って)ダメだ!こんな話、電話じゃ出来ない、会おう」
八重子「会わない」
史郎「勝手なこと言うなよ。僕等は何も終わっていない」
八重子「あたしはもう終わったの。ホントは何も始まってもいなかったの」

「アフリカの夜」第1話より

史郎「そんなこと言うなよ」八重子「申し訳ないと思うけど……買ってかも知れないけど……あたし、今、ホッとしてるのよ。自分の本当の気持ちに気づくことが出来て、よかったと思ってるの。だから、やり直したいの。自分の力で、ゼロからやり直したいの」史郎「僕のこともゼロに返せるのか」八重子「ごめんなさい。でもあたし決めたの。今のあたしは、お先真っ暗……夜みたいに、先が何も見えないわ。でも、道はきっと開かれてる」

最後の「でも、道はきっと開かれてる」という言葉へ向けての長いやりとり。
普通なら、史郎の「会おう」に対して八重子の「会わない」で電話を切りそうなものなのだが、そこから「ホントは何も始まってもいなかった」→「ゼロからやり直したい」→「道は開かれている」という流れが鮮やかすぎる。数学の長い証明を観てるみたいだ。大石静マジックにかかり、うっとりする。

まだ、まだある、この長いディスカッションシリーズ。続く……

今はFODで観ているけど、DVDかブルーレイが発売されたらな、って切に思う。かつて、「オヨビでない奴」のDVDが放送されてずっと後に発売されたこともあるので、諦めず願っていよう。

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