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君たちはどう生きるか 推察や疑問

「-感想会を企画します-」

観ようかな
観たいなと
思ってはいたけれど、
その提案がなければ
日々に忙殺され流れてしまい、

少なくともタイムリーには
観ることはしなかった。
と思う。


映画 君たちはどう生きるか

見終わった後の率直な好みとしては、
10段階で8くらい、
おもしろかったように思う。

自分が子どものころとすれば、
説明がつくされていないと
楽しめなかったように思える。

今は、
語りつくされないこと
伏線を回収しきらない
解釈は委ねられる、
そんなもののほうが好きなのかもしれない。

ゲド戦記やマーニーは
語り過ぎなように思えてしまう、今は。

ネタバレアクロバティック考察

全体感の制作としては、
制作者の好きな要素や
好奇心が向くものごとの
いくつかを組み合わせて、
それを骨子にして
つくり上げていったように思える。

産まれる前の赤ちゃんがいる世界、
集合的無意識、
並行世界、
神道や民俗学、
などなど。

生まれる前、赤ちゃんはどこにいるのか。

下の世界にいる。
そこで無事に栄養を摂り、
上がってくることが出来た子が
誕生をすることができる。

栄養が足りなくても上がってこられないし、
上がってくる間に妨害にあっても
誕生することはできない。

そんな空想にたどり着くのは理解できる。

そして、
妨害者にだって言い分がある。
食事にありつけなければ、
死んでいくのは妨害者のほうだ。

例えば、
動物の世界だってそうで、
襲われやすいのは弱弱しい子供だ。

ヒミの花火

どどん!
ぱららー、
という音と絵がすごいよかった。

集合的無意識

ユングが唱えたやつは
厳密には違いそうな気がするが、
一番近そうなワードなのでチョイス。

感覚や知識は
無意識下で集合しているというようなやつ。

輪廻とかではなく何か大きな塊のようなものに戻るというやつ。

並行世界

さまざまな扉があった。
これはSF的な好奇心で制作者が好きなんだろうなとも思う。

もしかしたら宗教要素視点もあるかもしれず、
三千世界的な観念なのかもしれない。

民俗学

産屋に侵入するシーン。
それを後に
禁忌をおかしたと言われる。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309418049/
産屋のタブーはこの本に多く紹介されていた。

神道

産屋の天井にて
時計回りと反時計回りに回る円環。
イザナギとイザナミの国産み神話での、
旋回方向と出産の成否の話を想起させる。

さらに、
ヒミと火から、
イザナミのヒノカグツチ産みを想起させられる。

ヒミが、あなたを産む、と言うということは、
眞人がヒノカグツチだとしても、
それでも眞人の素敵な点を
いくつもいくつもいくつも知っているから
産みたいということか。

この石には悪意がある とは

石を永遠性の象徴として忌避して、
矢をつくるために散々触れ親しんだ
木を復活や再生の象徴と捉えるという、
古い信仰同士の対立によるものか。

子どもの視点と大人の視点

婆ちゃん女中たちの登場時の身体の比率が
いびつに描かれている。
とてもグロテスクに見え、
人間なのか化け物なのか迷うくらいだった。

それが眞人の目を通した映像なのだろう。

大人や年長者を受け入れていない、
異物として見ている、
だからこそ嫌なもの化して写る。

深夜の父親の帰宅シーンもそう思う。
気持ち悪いもの、忌避するものとして
見ている。

ついでに言うと、
頭を石でぶったシーンの流血もそうなのだろう。

自分としては、
とてつもない量の血が漏出したように思えた。
自分としては。

ナツコのことも忌避していた。
口には出さずとも
距離を置いていた。

ナツコもそれを感づいていて
嫌いと言ってしまう。

自分から心を開かなければ
他者の心を開けないのではないか、
キリコもナツコも連れ帰れないのではないか、
そう危惧した眞人に
心の成長が生まれ
お母さんと声を掛けられるようになる。
(こう書くととても打算的だ)

分からなかったこと

1度しか見ていないこともあり、
聴き洩らしかもしれないが
分からなかったこともある。

お母さんはなぜ病院にいたのか。

病気とまで言明していたっけ?

なぜ石で頭を殴ったのか。

ケガをして学校に行かずに
塔を探索するためか?

なぜナツコの弓はなぜアオサギを撃退できたか

ヒミと同様に神聖性があるのかナツコにも。

ナツコの部屋のタバコは誰のものか

父親はタバコを吸っていたのだったか。

世界ごとに大叔父のような創造主がいるのか


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