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東京

『東京は文化的だよね』

こちらで暮らすようになってから、度々この言葉を口に出し、その都度夫に笑われる。

海と山、衰退気味の商店街と田んぼとイオン、バスは1時間に1本あるかないかみたいな東北の田舎から出てきた私にとって、東京で最初に住んだ中野の街を中心にした暮らしは華やかでとても文化的だった。

商店街は毎日お祭りのように賑わっており、素敵な商品が楽しげに私を誘う。バスは10分待てば来るし、大きな公園に行けば大道芸人が技を披露していたり心地よい音楽が生演奏されていたり。図書館も散歩がてら行ける。芸能人ともすれ違ったり。映画だって気軽に観れる。
その気になれば簡単に多種多様な文化に触れられる。田舎では考えもしなかった生活が目の前にある。

高校を卒業する時、多くの友人が都会に憧れ東京の大学に進学していった。当時何故か私は都会への憧れよりも恐怖の方が強く、また家庭環境も微妙な頃だったのでとりあえず進学出来るなら近いところ、と余り深く考える事もせず地元の短大に入学した。卒業する時も、アルバイト先が楽しくて就活する事もなくそのままそこで雇ってもらった。他へ行く事は考えもしなかった。小さな世界で生きていた。

時折帰省する友人たちが教えてくれる都会の地名や出来事も、へえ〜そうなんだと違う世界の話ぐらいに受け止めていた。

1度高速夜行バスで友人に会いに上京した時、東京は何か変な匂いがしてちょっとゴミゴミしていて少しこわいような気もするけど、なんだろう、なんだかキラキラしていて面白そうが詰まっているな、と初めて友人たちの都会への憧れの気持ちに自分が近付いた。

ただ、田舎で働く人と結婚すればよほどのことが無ければ恐らく田舎で一生暮らす。当時の彼氏は転勤のある職種でも無かったし、それを普通に受け止めていて自分が都会に出て行くシチュエーションは全く考えなかった。
それでも、自分は今日都会への憧れを持った、と当時の日記代わりの詩に書いたその部分だけを何故か鮮明に覚えている。

本当はそうして田舎のおばちゃんで一生終える予定だったのだが、家庭内のあれやこれや色々ありまして、な感じでぷつんと人生の糸が切れた事があり、最初の結婚も終了させほとんどのものを捨てて私は田舎を去った。説明するのは難しいけれど、故郷の事は特別であり大切に思っているが、全く帰ろうと思わないし実際帰らないまま9年になる。

時折故郷の美味しいものをお取り寄せしたり、テレビに故郷周辺が映りそうな時に今の家族ではしゃいでみたり、年に数回田舎の妹とラインのやりとりをするくらいで既にもうこちらがホームという気持ちでいる。
故郷とは、今はこのくらいの距離感がちょうど良い。

快適なのだ。
どちらが良い悪いの話ではなく、きっと今の自分に合うバランスなのだ。

その気になればどこでも行けるしなんでも経験できそうな東京の暮らし。今は都心から離れ東京でも自然豊かな地域に住んでいるけれど、少し乗り物を乗り継いで気が向いて手を伸ばせばそこになんでも揃っている感じ。田舎から来た者には大き過ぎるその、ありがたみ。

かつて友人たちが教えてくれた街の地名を見つけるたびに、彼女たちはこの街を歩いていたのか、と20年の時を経て思い出を重ねている。
あの頃ぼんやりと名前と地図の輪郭だけだった街が、現実に人の息づく街となって鮮明になる。中央線から見えるその街は、通るたびにもう連絡先も知らない友人の事を思い出させてくれた。元気かな、今どうしてるかな、どうか幸せでありますように。

そんな風に、自分は誰かの記憶に残っているかしら、ふと思い出してもらえるような何かを、私は残してないのではないかしら、切なくてほろ苦いものを胸の奥に感じながら、次々と変化していくように見えて実は揺るぎなくそこに在り続ける街に、時間を超えてそこに残像が見えそうな友人に、思いを馳せる。

まあ、いいか、忘れてもらえてたら、それはそれで。私が忘れたいことだらけだったんだもの。それでいいんだ。それでもいいんだ。

東京のどこかドライな味わいも、ドライなフリして包容力の大きなところも、思い出も新発見も両方転がっているところも、そこが交差して深みと面白さを増してくれるところも、とても好き。

この先もずっと、街歩きをして記憶メモの入った自分の中のオリジナル東京マップを作っていく。
また新しい『文化的』を見つけては、大真面目な顔をして『東京は文化的だよね』と言って私はきっとまた夫を笑わせるのだ。

#東京
#田舎
#文化的
#エッセイ

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