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朝のだるさと罪悪感と保育園の声がけについて
今朝起きたらめちゃくちゃだるくて
これは体がだるくなくても
だるいやつだなと思ってぼんやりしていた。
いったいなにがわたしを
こんなにだるくさせるんだろう。
罪悪感。罪悪感だなと思った。
朝からだるいわたしへの
罪悪感。
すっきり起きられない怠惰なわたしがいやだ。
いやだ。いやだと思う自分がいやだ。
何故いやだと思うのがいやなんだろうか。
いやだとわたしが思うのは
他人へのわがままだ。
そう思っているらしい。
おかしいなー、いやだったらいやだって
ちゃんと最近は言えてると思っていたんだけど。
子どもに筆箱を投げられたときは
結構怒ったし、
旦那が子どもにあたっていたら
それはおかしいってちゃんと言った。
どうやら少し種類が違うらしい。
"わたしがわたしにしている、いやなこと"
これってなかなか気がつかないらしい。
よくあるオートマチックに起こるやつ。
わたしがわたしの感情をオートマチックに処理していて、しかもそれが社会的には役に立つもの。いい人であるために、不機嫌さを飲み込むために、"いや"をないことにしてきた。ないというよりは、あるけど本質を無視するような扱い方。
流れるように勝手に処理されている。
わたしはわたしにもう"いや"だなと思うことに罪を感じなくていいんだよと言いたい。
たとえばそれはわかりやすく他人から"いや"なことをされるということでなくても。
"いや"を見つめる。"いや"を感じても大丈夫。
朝からだるい。(そうだよねーだるいよねー。)
朝から眠い。(そうだよねー眠いよねー。)
朝からなんかいや(なんかいやだよねー。)
そっかフラットな視点は自分を受け入れることに役立つんだ。
そしてなんか耳覚えのあるやりとりだなあと思う。
保育園で先生たちが子どもたちによく言っているやつだ。
いやだったね、という声がけのほんとうの意味を知った。わかってなかった。
いやだったね、というフラットな視点の声がけを保育園でやっているんだな。
自分をまるごと受け入れる、受容とか、あるがままとか、愛とか、わが_ままとか。
こういう積み重ねで
思考パターンって決まっていくのだよな。
いいなあうちの子たちが通う保育園。
くぅー。
日日是成長。
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