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「花束みたいな恋をした」を見た話。

きっかけ

「『花束みたいな恋をした』、いろいろ考えさせられる映画だった」
 そんな言葉を聞いた次の日、つまり今日(日付的には昨日)、大学の友達と遊んでいるときにふと映画の上映スケジュールが目に入った。次回上映は16:20~、そのときの時刻はだいたい15:40くらい。
 映画は気になっていたし、友達とも、次何する?みたいな感じにもなっていた。思い立ったが吉日。「花束みたいな恋をした」を見てきた。

 以下、ネタバレしないように書くつもり。

 書く、つもり。

映画を見て

 絹ちゃんと麦くんが出会うのが大学生のときだから、ちょうど今のわたしたちくらいの年代。勝手に親近感を覚えた。感覚がよく合う人との出会いを運命のようにとらえてしまうのもたぶん学生だから。社会人になるとそんなに甘くなさそうだなーとか思った。
 ふたりの心情の描写というか、心の移り変わりの描き方がすごく好みだった。同じようなシチュエーションで、同じような言葉を使っていても少しニュアンスが違っていたり、普段なら気にもかけないような細かいしぐさでふたりの考えの違いやずれを表現していたり。ストレートにすべてを語られるのがあまり好きではないわたしは、ことばになっていない部分の表現が好きだった。麦くんが本を置くシーンとか。
 そして、おそらくいろんなところで言われ尽くされているんだけど、とにかくリアル。個人的には、別れてから別々に暮らし始めるまで(=本当にお別れするまで)の期間、それまでが嘘のように楽しく明るく過ごしていたところが「うわあめっちゃ現実」って感じた。過去に2回ほど自分もそういう経験したからなんだと思う。別れるってなんとなくお互いが意識してからとか、別れてからの方が案外何も考えずに接することができるんだよな、と。

映画を見たわたし

 絹ちゃんの気持ちも麦くんの言いたいこともわかる気がして、物語に入り込んでいっていた。最初のほうはすごく幸せそうだな、とマスクの下でちょっとにこにこしてたし、別れ話をしているシーンでは一緒に泣いてしまった。
 しかし。わたしが一番泣いたのはそこではなかった。
 わたしが一番泣いてしまったのはエンドロール。もう一度言います、エンドロールで大泣きした。
 なぜエンドロール?って思う人もいると思う。
 普通、エンドロールって、映画のまとめ的な感じで作られている。この映画も例外なく、そんなつくりになっていた。でも、ちょっと違う。これは映画を見た人じゃないときっとわからないんだけど、ほかの映画とは違った。
 ネタバレせずに書きたいと思う手前、詳細は記せないのだが。
 そのエンドロールを見て、映画の内容が頭の中を駆け巡って、それはどこか今までの自分たちと重なるようで、きっともう戻ってこないけど大切な時間で、わたしが持っている思い出が、時間が、それこそ花束みたいに綺麗なんだな、って考えた。そこまで行きついたところで一気に泣けてしまった。

感想を共有してみた

 一緒に見ていた友達と感想を共有してみた。以下はその一部。

・下宿っていいなあ。
・猫飼いたいなあ。
・恋愛っていいなあ。
・働き方とか、自分の生き方についても考える作品だった。

 今回一緒に見に行った友達も、わたしも、大学には実家から通っている。だから、絹ちゃんがしたみたいに相手の下宿の家に転がり込んでいくなんてことができない。なんか、下宿の人いいなあ。でも動機が不純。
 それから、猫。作中に猫が出てきた。わたしは家族にアレルギー持ちの人がいるから、猫は飼えない。
 いつか実家を出て生活することがあったら、猫とか犬とか飼いたい。

 大学生の今と、社会人になってからの考えは必ずと言っていいほど変わると思う。それは仕方のないことなのかもしれない。でも、自分の中で、好きなものや大切にしたいものはちゃんと持っておくことが必要なんだと感じた。それを持っておくことができなくなると、きっと前の自分のことを忘れてしまうんだろうな。

最後に

 映画、あと3回は見たい。
 見た後に友達とご飯食べたんだけど、映画を見終えた後とは思えないほどに静かに食事をとっていた。いろいろ考えていると言葉を発することを忘れるらしい。
 実はわけあって友達とは少し離れた席で見たんだけど、それがよかった。あえて離れてみるのも楽しいかも。

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