あんたは、うちではお姫様やけどな…
あんたは、うちではお姫様やけどな、
外では、ただのひとりの人間やねんで。
特別ちゃうねん。
だから、見てほしかったら
見てもらう努力せなあかんねんで。
と、言われて育ちました。
家では、大事大事にかわいいかわいいと、これでもか!ってくらい愛でられてきました。
幼稚園に入って、親の目の届かない時間が増えるにつれ、いじめ(というか小さい子特有のやつなんかな?排除というか仲間意識みたいなもの)を経験し、ちょっと縮こまっているわたしを見かねたのか、母から言われたのが冒頭の言葉。
何をしてても、何もしなくても、「一番に見てくれる」のは家族くらい。
友だちになりたければ、友だちになる努力をせなあかんし、
先生に見てもらいたければ、見てもらう努力をせなあかん。
努力って言っても、ファーストステップは声を出して行動すること。
とか
とか
そんな風に思って、いじけてる人がいたら、考えてみてほしい。
ちゃんと声出して行動してる?
まぁでも、「してるよ!」って言うわな。
わかるで。
わたしも「がんばってるつもり」やったもん。
でもさ、
伝わってなければ、
何もしてないのと同じやで。
伝わるまでやる、
なんで伝わってないのか考えて、
伝わるように工夫する。
いま注目されてる人たちは、注目されるだけの努力をしてきた人たち。
発信を継続してきた期間も、発信内容の工夫も、発信内容の質も量も。
キレイに見えるかもしれへんけど、白鳥やで。
水面下ではめっちゃ努力してはる。
わたしも俄然、努力の途中。
「がんばってんのにー!」ってクサる日もあるけど。
自分もあの人も、みんな特別で、
自分もあの人も、みんな特別じゃない。
みんな何者でもない中から、何者かになる努力をしてるんやから。
努力してれば絶対見つけてもらえるとは限らへんけどな。
でも、わたしは夫ゴリラには見つけてもらえた。
誰に、どんなふうに見つけてもらいたいか、を明確にすれば、努力の方向性も見えてくるし、努力もしやすい。