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あんたは、うちではお姫様やけどな…

あんたは、うちではお姫様やけどな、
外では、ただのひとりの人間やねんで。
特別ちゃうねん。
だから、見てほしかったら
見てもらう努力せなあかんねんで。

と、言われて育ちました。

家では、大事大事にかわいいかわいいと、これでもか!ってくらい愛でられてきました。

幼稚園に入って、親の目の届かない時間が増えるにつれ、いじめ(というか小さい子特有のやつなんかな?排除というか仲間意識みたいなもの)を経験し、ちょっと縮こまっているわたしを見かねたのか、母から言われたのが冒頭の言葉。

何をしてても、何もしなくても、「一番に見てくれる」のは家族くらい。
友だちになりたければ、友だちになる努力をせなあかんし、
先生に見てもらいたければ、見てもらう努力をせなあかん。

努力って言っても、ファーストステップは声を出して行動すること

なんで!
このわたしが!
こんなに!
がんばってるのに!!

とか

なんで!
あの人は有名になってんのに!
わたしは!
まだ見つけられてないの!!
早く見つけてよ!!

とか

そんな風に思って、いじけてる人がいたら、考えてみてほしい。

ちゃんと声出して行動してる?


まぁでも、「してるよ!」って言うわな。
わかるで。
わたしも「がんばってるつもり」やったもん。

でもさ、

伝わってなければ、
何もしてないのと同じやで。


伝わるまでやる、
なんで伝わってないのか考えて、
伝わるように工夫する。

いま注目されてる人たちは、注目されるだけの努力をしてきた人たち。
発信を継続してきた期間も、発信内容の工夫も、発信内容の質も量も。

キレイに見えるかもしれへんけど、白鳥やで。
水面下ではめっちゃ努力してはる。

わたしも俄然、努力の途中。
「がんばってんのにー!」ってクサる日もあるけど。


自分もあの人も、みんな特別で、
自分もあの人も、みんな特別じゃない。

みんな何者でもない中から、何者かになる努力をしてるんやから。

努力してれば絶対見つけてもらえるとは限らへんけどな。

でも、わたしは夫ゴリラには見つけてもらえた。
誰に、どんなふうに見つけてもらいたいか、を明確にすれば、努力の方向性も見えてくるし、努力もしやすい。

見当違いの努力、してない?


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