無職なので家に帰る
無職だから家に帰られる、か。
父の百か日をやる、緊急事態下なので内々でやる、と母から連絡あり。ご近所の老フレンズが7人寄るという。私はさすがにきょうび不要不急の県外への移動は控えろ言われてんのに帰られへん、と断ったが、あれ、帰れないことないか、わし無職やん、子どももおらんし、我が親の百か日やのに。例によってずっと車で行けばいいか、と思い直して帰ることにいたしました。ちょうど、ワクチン予約のあれやこれやで80歳以上の高齢者界隈が混乱を極めていることもあり、その辺の手伝いなどもしてさしあげよう、とですね。
12時間高速を飛ばしまくり、実家着。市のワクチン予約について調べました。母は近所の病院を何軒か回り、最速で8月中旬以降になる、と言われたそうです。市の集団接種予約、自衛隊の大規模接種、その他自治体の大規模接種などが始まりかけ、政府の大号令でどこかにある大量のワクチン備蓄が吐き出し先を求め、接種する側の準備調整の弁づまりも何かの加減で一気に解消されるのではともくろんでおりましたが、この時点で市の集団接種予約は打ち止め状態でした。ただ、高齢者間でワクチン情報は光の速さで伝播し、どこそこ病院は明日、予約再開するってよ!という一報をもとに朝から並んで予約ゲットするアナログ方式が結局有効だったという、若者(私)ネット衆の力及ばずな結果になりました。
2か月ぶりの実家、母も一時より元気そうです。初めての一人暮らしが快適で仕方ないようです。ご近所がよく気にかけてくれ、姿が見えないと様子を見に来てくれるとか。朝7時ぐらいにから何人もインターホンをかき鳴らしていきます。一日中電話がかかってきます。母は鬼長電話なので、ほとんど一日電話で話している感じです。
しかし、親世代(80代前後)の人らはほんとに電話長い。昼間に顔合わせてあれだけしゃべっときながら、帰宅後「今日はあんた、ありがとうな。せやけどあれやな。あの人あんなん言うてたけどな、ちゃうで。」と電話で二回戦が始まる。そこにいない人の悪口が何時間も繰り広げられ、終わったかと思うとその批判されてた本人から電話かかってきて今度は違う人の悪口が始まる。このループが深夜まで続き、最後は「いやあんた、ごめん、おしっこいきたいから切るわな。」で終わる。昔は家電しかなかったので、主婦の皆様ってだいたいこんな感じでしたわね。母親というものは、外でもしゃべり家では一日電話台の前から離れず、深夜の2時3時まで電話でしゃべるもの。家事とは、電話の合間にすませるもの。家の電話台の上にはチラシ裏の特製メモがあるのに、クラス名簿や電話帳にボールペンで強い筆圧で描いた謎のぐるぐるや人の名前に明朝体風のかざりをつけた母の手すさびがいっぱい。私や弟にかかってくる電話はだいたい母の長電話に遮られ、「長いねん!切れや!」と弟激怒してました。今は奥さん方もたいがい忙しいし、用事はLINEですむし、わざわざ電話で長々としゃべることもない。20年ぐらい前はメールの登場ですごい時間が有意義に使える!と感激したのがうそのようなイノベーション。
まあ、私もともと電話怖いからかけるのも出るのも嫌いなのでほんと今の世の中快適です。
このように、父の死後しょんぼりしていた母も元気を取り戻し、今のところ機嫌よく過ごしています。とはいえ体を動かすのはだんだんときつくなってるみたいで、草むしりなどした後は2日ほど寝込みます。家回りの管理など難しいようで、認知症まではいかないもののちょっとしたことがおぼつかなくなってきています。私も無職やし、いっそのこと九州から実家近くに戻ってくる方がいいかな、実家の近くで仕事探そうかな、などと考えたりします。ただ、母と私はずっと一触即発の関係で、お互い同居はしない方が身のためでもあり、「うーんどーしよっかなー」と独り言言いながらまた長距離を運転して帰ってくるのです。成人し家を出た子どもたちの故郷は九州、ここに帰ってきたいと言います。私は子どもたちの帰る場所であり続けるために九州にいるべきなのか。実家とを車で往復する長時間運転も無職の健康体だからできることで、コロナが収まればこそ飛行機往復などで済むし飛行機代も仕事してればどってことないのですが。なんてことをぐずぐず考えながらまた今月もう一回帰省します。
高速代をケチるために帰りはずっと下道でぐるっと山陰側を走ってきました。夜は寝袋で車中泊。急いで帰る用事もないし。こんなに何も予定がない、時間だけは自分で使いたいように自由にできるって生まれて初めてかもしれん。お遍路にでもいこうかな。