見出し画像

誰かいる【小説】

以前に投稿したものを修正していたら、気づけばほぼ全文を書き直していたので、再投稿しました。小学生の主人公が庭に不審な人影を目撃するのですが、それを父親に伝えると事態は思わぬ方向へ……。

お父さんがリビングでパソコンとにらめっこしていた。お母さんは買い物に出かけているので、ぼくとお父さんの二人きりだ。

ぼくはお父さんの向かい側に陣取った。ランドセルを開き、テーブルに算数の宿題を広げたものの、ぜんぜん集中できなかった。窓の外が気になってしかたないのだ。

ぼくはたびたび塀の外からうちをのぞく不審者を目撃していた。黒い服を着た男だった。お母さんにそのことを話したら、お父さんに相談してくれたのだけど、結局ぼくの見間違いだろうということで片付けられた。

しかし一回や二回ではないのだ。家が留守になる機会をうかがっているのかもしれなかった。ぼくの思い過ごしならいいのだが、この家に危険が迫っている気がしてならなかった。

だから宿題をするのにも、外がよく見える位置を選ぶのだ。ぼくは上唇にえんぴつを乗せてほおづえを突きながら、お父さんの背後の掃きだし窓に目をやった。

開け放たれた掃きだし窓の向こうに庭が見える。いい天気だ。物干し竿に布団が干してある。お母さんが好きで植えた庭木、その向こうに塀。塀の上段は柵になっている。

「あ!」

口から心臓が飛びでるかと思った。ぼくははっきりと見た。塀の柵の隙間からこちらをのぞく目を。

「お父さん、誰かいる!」
ぼくが庭を指差して叫ぶと、お父さんは不機嫌そうにパソコンから顔をあげ、窓のほうを振りむいた。
「誰もいないじゃないか」

ぼくは庭に飛びだした。塀の外も見てみたが、すでに誰もいなくなっていた。

「さっきはいたのに……」
「見間違いだ。忙しいんだから邪魔するな」

見間違いなんかじゃない。ぼくが大声を出したから、逃げてしまったんだ。

ぼくは仕方なく、再び宿題に取りかかった。進みは遅かった。やはり庭のほうが気になってしまう。頭の中で算数の計算問題を考えながらも、視線は自然と窓の外に向いていた。

ろくに進みもしないまま30分が過ぎたころ、視界の端になにかの動きを感じとった。風でカーテンがなびいていた。いや、それだけじゃない。庭木の枝葉がかすかに揺れた。ぼくは目を細めた。

庭木の陰からちらりと黒い服がのぞいた。

驚きのあまりえんぴつを取り落としてしまい、カラーンと乾いた音が響いた。胸がばくばくしていた。

黒い服の男だ。こんなにすぐまた現れるとは。しかも今回は塀の内側だ。大胆にも庭のなかに入り、庭木の陰に隠れている。

動揺を表に出すわけにはいかない。また逃げられてしまう。ぼくは気づいていないふりをして平然とした顔を装ったが、口のなかはカラカラだった。ゆっくりと席を立つ。お父さんのそばまで行き、そっとシャツを摘まんでささやいた。

「ねえ、庭に誰かいる」
「……」

お父さんは無言でパソコンを見つめたままだ。ぼくは唾をごくりとのみ込んだ。今度はお父さんのシャツをすこし強く揺すった。

「……ねえ、誰かいるんだ」

突然、お父さんが両の拳をテーブルに叩きつけた。テーブルが激しい音を立てた。

「邪魔するなって言ったよな?」
「ごめんなさい……」
「ごめんじゃないんだよ。邪魔するなって言ったよな。おい、聞いてるんだ!」
「ご、ごべんなさい……」
ぼくは縮こまって、泣きべそをかいていた。
「それしか言えないのか!」お父さんがぼくの服をつかんで乱暴に揺すった。「おまえは口で言ってもわかんないだな。なあ、そういうことだよな!」

お父さんが握りこぶしを振りあげた。カーテンがなびく。ぼくは目をつぶって、両の腕を交差した。ぼくの腕にはたくさんの青痣があった。

それは数秒のことなのだろう。それでもぼくにはとても長い時間に感じられた。ひたすら身を強張らせていた。衝撃と痛みがすぐにでもぼくを襲うはずだった。しかしそれはいつまで経ってもやってこなかった。

おそるおそる目を開けると、信じられない光景が目に飛びこんできた。庭にいたはずの黒い服の男が家のなかにいた。振りあげられたお父さんの右腕をつかんでいる。

「おまえ、子供を殴るなんてどういうつもりだ」
黒い服の男が怒鳴った。お父さんは男のことを知っているふうだったが、好意的でないことは明らかだった。
「あ、あんた。ここにくる権利はないはずだ。こんなことして、どうなるかわかってるのか」
「うるせえ! 今度この子に手を上げたら絶対に許さねえ」

ねえ、と呼びかけると、黒い服の男がこっちを向いた。こわい顔がぎこちない笑顔に変わった。

「おじさんは誰なの?」
そのひとは質問には答えず、ぼくの体の痣に目をやった。
「大丈夫か? こんなになって」

男のひとは近寄ってきてぼくの腕の痣をなでた。ごつごつしているけど温かい手。がさつだけど優しいなで方だった。

「……お父さん?」

無意識にこぼれた言葉だった。男のひとの目が見開いた。

昔お母さんに、本当のお父さんはぼくが物心つくまえに亡くなったのだと聞かされた。そのあとすぐに新しいお父さんがやってきたのだ。

「もしかして本当のお父さんなの?」

そのひとは目をうるませてうなずいた。

最後までお読みいただきありがとうございます。