見出し画像

「生写真」論

「なまじゃしん」とは何というエモい響きでしょうか。ただの写真と何が違うのか、生写真とは何が嬉しいのか考えてみます。

一般には化学的な現像処理によって作られたプリントを指すものですが、使用される範囲が限定されていることから、それ以上の意味を持った言葉となっています。


生命感を伝える生写真

生写真はインクを使った写真と区別するために使われていましたが、実際にには被写体が人物の場合に使われるのがほとんどです。「建築の生写真」と言われてもピンとこないはずです。そのことから身体的な生命感に繋がっているように感じます。

特にアイドル活動では生写真と類似のチェキは特別なものであり、アイドルを身近に感じる重要なアイテムになっており、生写真を数ステップ遡るとアイドルが居る空間や撮影した時間と繋がっている感覚です。

現在の技術では8K動画や3D表示ができるデジタルデバイスが存在していますが、それよりも生写真の方が身近に感じているのではないでしょうか。


本物感を伝える生写真

化学処理の「手間」からくるのか、それとも「長期保存」できることからくるのか分かりませんが生写真には「本物の写真」という雰囲気があります。光沢感や紙厚などはインクジェットプリンターでも同じような出力ができますが何か軽いものとして扱われてしまいます。

レコードがCDになり、フィルムカメラがデジカメになり、初期のころには同じように「偽物っぽさ」があるように扱われていました。2つの事例はアナログからデジタルへの転換です。

ヒトは人間であると同時に動物という側面があり、人間は言葉によって抽象概念を扱えますが、動物として情報の抽象的な特徴にしっくりこないものを感じているのかもしれません。


希少性を伝える生写真

現在では生写真のプリント過程は自動化されており、その気になれば大量処理ができますが、それなりに手間が掛かっていることから限定性を感じることができます。

生写真は同じアナログの印刷技術である出版物との間でも存在価値の違いがあることから、大量生産品か手作り品かの違いによる、いわゆる工芸品や芸術品のような希少価値を持っているようです。

限定品としてはインスタント写真の「チェキ」が最高です。最近ではデジタル出力のタイプも出ているので同じ写真が何枚も出力できますが、チェキが持つメインストーリーが世界で一枚だけの写真で伝わっているため、アイドルイベントでも特別な存在になっています。


メタバース体験の生写真

人の体験がフィジカルな実世界だけでなく、メタバースなどバーチャルな世界にも広がり、思い出を残す写真の役割も変化が始まっています。

今後人生の体験がフィジカルとバーチャルの半々に近づき、フィジカル活動に対してもデジタルログが残るようになり、活動履歴としてのデータは増えていきます。

しかしもう一度ゲームをリプレイしたり、タイムラインを読み返すことは難しいため、出来事を象徴する1枚の写真で思い出がよみがえる役割が重要になってくるはずです。

ゲーム実況Youtubeのようにより臨場感のあるデータと写真を結び付けることで、思い出の振り返りパスが出来上がるのではないでしょうか。

実世界の旅行はGPSデータと写真やツイートによって思い出が残り、バーチャルな体験では再現再生とそのシーンをスナップショットした写真という構成になってきます。

そんな構成の中ではバーチャルの写真は「サムネ」と呼ばれる存在になりがちですが、そこを「生写真<チェキ>」にすることで実感を伴った思い出に近づくような感じを得られるのは面白い感情です。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?