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第1章 「わたしはどうして管理人になったのか」

かつてメジャー誌で連載、数本テレビドラマ化もされ、人気漫画家だったわたしTもいつしか仕事が途絶えて流浪のバイト生活に。
やがて辿りついたのはマンション管理人のアルバイト
「人間の裏側が見える仕事」「底辺の仕事」「老人の仕事」と揶揄されるマンション管理人の日常とは?

困った住人、ヤバい住人への対応は?
お金は? ゴミ出し攻防は?
赤裸々にマンション管理人の日常をはじめて描いた実録日記─。

管理人生活の日常を赤裸々に綴っていきます。

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 私は売れない漫画家である。いや、あったというべきか。しかし漫画家を廃業した覚えはないから、やはり漫画家である、というべきだろう。ただ家族もあるしやはり生きていかねばならないのに、順調だった漫画生活がある日バタバタッと連載が終わって急に暇になってしまった。浅はかな私は、そのとき、その後の苦難の長い道のりが待っていようとは想像すらしなかった。すぐ次の仕事が来るだろう、と軽い気持ちで競馬にうつつを抜かしていた私が、気がついた時にはお金も底をついてきた。相も変わらず連載の話はもちろん単発の仕事もない。私は、生きていくためのバイトもしていなかったので、慌てて仕事を探し始めたのである。


 私はやっとというべきか、慌ててというべきか、駅のホームに置いてあるアルバイト情報誌(毎週月曜日に新刊とチェンジされる)を毎週手に取って、何か自分に合う仕事はないものか探し始めた。そして私の目にとまったのがホテルでの皿洗いの仕事である。大手町にあるとあるホテルのリニューアルに際して、新規の皿洗いのバイトを募集していたのである。すぐにスタートできる、という魅力もあり、面接に行き話を聞き私なりにやれそうな感触を得た。後日採用の連絡を受け、少し緊張しながら四谷にあるホテルに研修に行ったのであるが、この研修で私の心にはこの仕事に対する最初の抵抗感が芽生えたのである。研修担当の社員(40代くらいで片目の目尻の白眼部分が赤かった)が、私より早く就業したであろう老人を大声で罵倒していたり、まだ右も左もわからない新人の私に対しても「手が空(あ)いてるならこの皿、さっさと収納して来いよ〜〜!」とカン高い声で怒鳴ったり、その男は新人を育てる、あるいは人の上に立つ資質が全く備わっていない人間で、働いている人達も何か無表情で、仕方がないからこの仕事をしているんだよ、という暗い印象の人が多かったので、早くこの研修が終わってリニューアルされた本来の勤務地に移りたいという思いでその研修を受け続けたのである。
 しかるに大手町のホテルに勤め始めた私を待っていたのはそれ以上の苦痛であった。
 まさに“人の下で働くということは苦悩の連続である”ということを確認したのであった。



 週数回のその仕事は前の週に次週のシフトを入れておくのだが、仕事のある日は家を出た瞬間から足どりも重く心の中に重い石でもつまっているようで、乗り換えで次の電車を待っている時のホームのアナウンスが何故か私には腹立たしく、これから地獄に行く私を明るい声で背中を押してくるようにも思えた。
 重い足取りでホテルに着いた私はまず受付の警備員から各ドアを開けるカードを受け取り、地下に降りて手を洗い、エレベーターや階段を通ってやっと会社の小さな部屋に辿り着いた頃には、身体も心も全部が石になったようで、早く帰る事しか考えていなかった。タイムカードを押し、通路の奥にある会社専用の戸棚から自分に合うサイズの制服を取って(帰りに洗たく籠に入れる)上階にあるロッカー室まで又移動するのだが、その時にはすでに私の心は疲弊の一途をたどっているし、たまに合うサイズがないと、もはや少しきつかろうとその服を着るしかなかったし、そのことで私の心はますます重くなっていった。
 なぜ私はそれ程までにその仕事が嫌だったのか? つまり仕事が合うか合わないかは仕事の内容そのものより人間関係が問題なのである。仕事が続くか続かないかはこの問題に大いに関わっている。ホテルの皿洗いの仕事は時給の割にキツかったが、何より人間関係が最悪だった。この仕事は調理場やサービスからデシャップ(厨房の窓口)に下がってきた食器や鍋などの汚れ物をテーブルから下げて下洗いし、洗浄器にかけて出てきた物を拭いたり乾かしたり収納したりという作業の繰り返しなのだが(私は鍋類の洗浄をまかされる事が多かった)、忙しい時はその量たるや想像を絶するもので、それがひきもきらず運ばれてくる。しかも私のいた現場では洗い物はそれだけではなく洋食・和食の調理場に2ヶ所、ペストリーに2ヶ所あり、そちらも絶えず注意を払い足を運んで洗い物がたまっていればそこで洗ったり持ち帰って洗ったりと(それもハンパない量、絶望的な量である!)、その地獄の時間が交代の人間が来るまで続くのである。そこに数多(あまた)の人間が入れ替わり立ち替わりやって来るわ、注文はつけるわ、何かあれば注意されるわ、こっちの食器を先に洗ってくれなど無理な注文をしてくるわ、こちらの都合などおかまいなしである。そして何より調理場のシェフが最悪の人間だったのである!



 このシェフは研修で会った赤目の男以上に人の上に立つ資質が全く欠けている人物だった。そもそも調理場以外の部署(特に洗い場)の人間には初めから愛想がなかったが、私に対する敵意が確定的になったのはある事件が起きてからだった。その事件は半分は私に非があるのだが、いつものように調理場に洗い物を確認に行った時、パントリーのひとつのシンクに汚れたホテルパンが溜まっていて、その一番下に剥いた玉ねぎやブロッコリーなど野菜類が水に浮かんだパンが置いてあったので、私は疑いもなく何らかの理由で調理に使用しなくなったものを洗うパンと一緒に重ねて置いたのだと思い込み、全部まとめて洗い場に持っていってしまったのである。ここで読者諸氏は“このトンマ野郎、絶対調理に使う下処理した野菜だろう”とお笑いになるだろうが、その場にいて早く洗う事しか念頭になかった私は、ちょっと冷静になれば判断できる事も全く判断できなくなっていたのである。私は洗い場にもどると同僚の橋元君(以下全員仮名)…この人は現場でも数少ない信頼すべき人間の一人だった、他にも礼儀正しく腰の低い坂田さんや、人工透析を受けているにもかかわらず元気いっぱいでいつもペットボトルのお茶をご馳走して下さる志村おばさんなど、懐かしい人達も何人かいたが…に、「こんな野菜捨てちまうんだね、もったいない」と笑いかけながら、野菜を捨ててパンを洗浄機にかけてしまったのである。

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 ほどなく血相変えてとんで来た担当のコックに「向こうに置いてあった下処理した野菜知りませんか!?」と言われた時、私の心臓は確かに一瞬止まったのである。顔から血の気が引き“ああ、何てドジだ、やっちまった、何故ひと言確認しなかったのだろう!!”と後悔の念にさいなまれたのである。その後シェフもとんで来て“どこのどいつが犯人だ!”と言わんばかりの血走った目で洗い場全体を睨みつけてきたのである。逃げ場のない私は「洗い物と一緒に置いてあったので、てっきり処分していいものと思い中身を捨ててパンを洗ってしまいました」と説明したのだが、「バカヤロー! ちゃんと確認しろよ! 野菜は今高いんだぞ、どうすんだよ!」とゴミ箱に空しく捨てられた野菜を覗きながら怒鳴り始め、急いでとんできた私の会社の担当女性が一緒に直立不動でシェフとコックに小言を言われ続けたのである。彼女には悪いことをしたが後の祭りである。私はもう頭が真っ白で茫然と立ちつくすしかなかったが、本来目が垂れているので他人からは笑っているように見えるのか「何笑ってんだよ!」とおっかけシェフに怒鳴られる始末で。その後すぐ私は地下の洗い場に左遷させられた。ほとぼりのさめるまで、という意味か、辞めてもらうけどとりあえず今日はシェフの目の届かない所で、という意味かその時はわからなかったが、ほどなく又元の洗い場にもどされたからそんなに問題にならなかったのかもしれない。が、その事があったせいかますますシェフは私を空気のように扱い(…と私には思えた)二人だけで階段ですれ違っても、私の「お早うございます」という挨拶を全くシカトして素通りしたのである。その時は私に対するうらみつらみは相当なものだと思っていたが、他の人にも同じような態度を取ったりサービスの若者と睨み合いの言い合いをしていたのを目撃するにつけ、もともとシェフはこういう人間なのだと確信したのである。
 どんな仕事でも厳しさは必要である、ましてスピードと丁寧さが求められるホテルの仕事である、厳しいのは当然であるが、例えば総料理長が洗い場に姿を見せた時には「いつもすみません、ごくろう様です」とひと言声をかけてくれた事にも鑑み、やはり件(くだん)のシェフは人の上に立つ者としての資質に欠けると言わざるを得ない。その現場にはもちろん前述したように仕事をきちんとやった上で人当たりのよい方も何人かいたが、慨して人を人とも思わない言い方をしたり不快にさせたりする人間もあらゆる部署に何人かいて、ほとほと私はその仕事に嫌気がさし早く別の仕事を探したいと強く思っていた次第である。仕事の厳しさと他人に対する敬意とは全く別物である。



 私はアルバイト情報誌のお世話になるようになったがなかなかこれという仕事は見つからなかった。一年ほど続けた皿洗いの仕事を辞める事は会社に伝えてなかったがシフトを入れてなかったのでそのまま行かなくなってしまった。ある日ポストに投函されていたタウン情報の広告(チラシ)にアルバイトの募集がいくつか載っていて’午前中だけの管理人募集。清掃中心のマイペースで働ける仕事です’という文字に目が止まった。時給は決してよくないが週5日一人で黙々とやれるという魅力があったし、マイペースでやれるというのも何か私には合っているような気がして、とりあえずK町で行われる面接に行ってみる事にした。私はアルバイト情報誌のお世話になるようになったがなかなかこれにアルバイトの募集がいくつか載っていて‘午前中だけの管理人募集。清掃中心のマイペースで働ける仕事です’という文字に目が止まった。時給は決してよくないが週5日一人で黙々とやれるという魅力があったし、マイペースでやれるというのも何か私には合っているような気がして、とりあえずK町で行われる面接に行ってみる事にした。

 約束された日時に駅前の区民ホールのような建物の上階で行なわれる面接に行ってみると、優しそうな老人がひっそりとテーブルの向こうに座っていた。面接はごく短時間の簡単な者で「この後も何人か面接があるので今日の夕方までには結果をお知らせします」と言うので、じゃあそれまでどこかで時間をつぶそうと外に出た私に先程の面接官から電話が入り「あなたに決めようと思います」と伝えられた。私は「この後も面接がある」と聞いていたので「えっ!私の印象がよっぽどよかったのか?」などとうぬぼれではないが不思議な感じを持ちつつも、「決まったからにはこの仕事を頑張って続け、しかしこれだけではツライのでこの仕事が落ち着いたら別のもうひとつ(いわゆるダブルワーク)の仕事を探せばいいか」と考えた。それはともかくこうして私の“管理人”としての仕事があっという間に決まったのである。因みにダブルワークとして夕方からの小学校の警備の仕事も、見つかった。本業の漫画の仕事は、途中連載が始まった雑誌が一年足らずで廃刊になったりと、一向に波に乗らないのであるが…。





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