物事にハマりきれない38歳がたどり着いた自分なりの幸せの定義
私にはずっと悩みがありました。
物事にハマりきれない、夢中になれない、没頭できない、というものです。
何かを成す人は、一つのことにハマって、夢中になって、没頭して、とにかく打ち込んでいるものだという認識が強くあったせいで、自分はせいぜいそこそこレベルで止まるんだろうなと漠然と思っていました。
そんな思いをどう消化したらいいものか。ようやく言語化できて気持ちの整理がついてきた気がします。
ハマりきれないと何が苦しいか
自分が物事にハマりきれないせいで、実際にどんなことが起きていたか。
一つには、どんな分野においても一番になることができません。
そこそこできる評価を受けることはあって、過去複数の上司から「君ならもっとできるはず」という期待を受けることは少なくなかったです。
でも応えられない。上司からは失望されることはないまでも、叱咤され続けることになります。期待されることはありがたいものの、現状のままでは物足りないという受け止め方もできてしまうので、認められている実感は持てませんでした。いつしか「意外とそうでもないやつ」として、上司の興味が薄れていくことも感じていました。
営業成績でも、相対的には「中の上」くらいの位置には来れるものの、そこから抜けきれず圧倒的な成果を出すことはありません。だから表彰には縁がありません。
また一つには、組織に便利に扱われがちというのも悩みでした。
どういうわけか、組織のウィークポイントに配置されたり、特命を受けたりして、組織内に同じ役割をしている人が他にいない状態に置かれることが社会人人生でたびたび起こってしまいます。これは複数の在籍企業で起きていることので、組織の問題ではなくて私個人の性質による問題なのだと受け止めざるを得ません。
そういう頼られ方を喜びとして受け入れる人がいることは理解できるものの、こんな組織の便利屋という道を進んでもキャリア的には損をしがちです。何かの分野で深い専門スキルが身につくわけでもなく、そもそも社内でリソースがない分野に置かれているわけだから我流ゆえに成長も遅いです。ゼネラリスト的な働きを否定はしないものの、少なくとも20〜30代の今ではないという認識です。
なんで自分はこうなんだろう。物事にハマりきれない自分ってなんなんだろうと思っていました。
ハマりきれない代わりに持ってる特性
ただ、社会的な経験の積み重ね、思考の成熟、自分への諦めと割り切り、憧れを手放すことなどによって、少しずつではありますが、そんな物事にハマりきれない自分の特性にもあるプラスの面を言語化できるようになってきました。
私の特性をプラスに言えば、
第一に、知的好奇心が強くて勉強好きです。
第二に、色んな分野のことを見聞きして触れているおかげで、物事の要点や概要を掴むのが早いです。
第三に、物事の要点を理解をしているので、それを自身に活かすことも人にわかりやすく伝えることもできます。
物事にハマって狭く深くアプローチすることはできないものの、広く浅くなら得意みたいです。
仕事においては、日々の業務での小さな学習を次に活かしながら取り組むので、同じミスはまずしません。気をつけるべきポイントを明確に掴んでいるんです。また、そんな小さな学習と改善を繰り返すので、じわじわと右肩上がりに成果を出していくことができます。
だから、たとえ未経験の分野であってもだいたいのことは一定のレベルまで自律的に向上していくことができます。
なるほど、「だいたいいつも中の上にはいけるんだよな」とは思ってたけど、それはちゃんと強みが発揮されていたからだったんだ、と振り返ってみて思います。
そして、こうやってマネジメントの手がかからずにそこそこのレベルに仕上げていけるのであれば、上司自身が精通していない分野の仕事も任せやすいだろうし、組織にとって便利に扱われることもそりゃそうだなとも思えました。
ハマりきれない私の幸せの定義
自分の強みがスッキリ言語化できたところで、そんな自分を満たす幸せの定義も考えてみます。
何か一つの分野に打ち込んでひとかどの人物になるというのは、憧れはあるものの、私の幸せとはズレているみたいです。だって、ハマって打ち込むことがそもそもできないのだから。
憧れと幸せは違うのだと、今はっきりわかりました。
私の幸せは、結論から言うと、
インプットとアウトプットの両輪が回っていることだと定義しました。
私は、知的好奇心が旺盛で勉強好きです。
だから、何かを学ぶこと、体験すること、経験すること、などインプットをすることは楽しみであり喜びです。
そして、そうした知識や経験は、人に伝えるなどすることで、いっそう深く理解できると実感しています。よく言われることですが、つまりアウトプットしようとすると、インプットも深まるということです。
私がnoteで転職エージェントとしての体験を投稿しているのもまさにこれです。
言語化というアウトプットをすることで、私自身も自分の体験を整理したり再認識したりしてインプットを深めています。
先に挙げた繰り返しになりますが、私の特性はこの3点です。
第一に、知的好奇心が強くて勉強好き。
第二に、物事の要点や概要を掴むのが早い。
第三に、わかりやすく伝えることができる。
きっと自分の特性(強み)を発揮する状態こそが、幸せということなのでしょうね。特性が発揮できていたらきっと自分らしい姿でしょうから、それは自然で当たり前な帰結かもしれませんが。
インプットとアウトプットで思うこと
振り返れば、直近10年ほどでも多くのことをインプット(勉強や体験)しようとしてきました。
中にはすぐにやめたものももちろんありますが、共通して言えるのは「やってみたらこうだったよ」とアウトプットして語れることです。
こういう、自分の言葉で語れる体験を増やすことが私の幸せなのだと思います。
インプットを増やすことはそこまで苦ではありません。「気になったらやってみる」というフットワークの軽さはかなり大事にしています。
意識的に取り組もうとしているのはアウトプットです。いまの主なアウトプット方法はテキストで言語化することです。例えば、noteの投稿とか。
文章を書くことは好きなので、自分の幸せのためにも、もっと書いていこうと思います。
関連して、アウトプットの方法を増やしたいとも今考えています。
文章から派生して、俳句や川柳、小説なんかもトライしてみようと考えたことはあるのですが、さすがにレベルアップしていくハードルが高すぎるというか、随時のフィードバックが得られにくい気がして、なかなかハマりきれなかったです。
いま、感じがいいのは色鉛筆画で、ここ半年ほど絵画教室に通っていますが表現スタイルとしてとても気に入っています。加えて、シンプルに色鉛筆画のいろはをインプットすることも楽しい体験です。
アウトプット方法が増えれば、伝える対象も伝わり方も違うので、また面白い広がりが出てくるような気がしています。アウトプット方法を学ぶこと自体も楽しいとなれば、私にとっては一挙両得な時間の使い方です。
常々、学校向けにキャリア教育の講演をやっていきたいとは思うのですが、いかんせんビジネスにならないので具体的なアクションはないままです。講演というアウトプット方法もゆくゆく身につけていきたいところです。
まとめ
大学三年生のときに、就活である企業の社長がこんな話をしていました。
「幸せになりたい人ー?みんな手を挙げてますね。では、自分の幸せの定義が決まっている人ー?ゼロではないですが随分減りましたね。そう、みんな幸せになりたいわりに、自分がどうなったら幸せなのかわかってないんですよ。だからもし幸せになりたいのなら、まずは自分の幸せの定義を決めることです」
もう15年以上前になりますが、頭の片隅にずっと残っていて、今回ようやく現時点のものが言語化できました。
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