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ズームバックオチアイをズームバック(12) オードリータンふたたび前編

参考になった部分をメモのように記録しておきたい。
 (シリーズをナンバリングしてもらうとありがたいなぁ)

2020年10月に対談があったが、
コロナが経過し再びオードリータンさんと対談

落合陽一、オードリータンにふたたび会う!前編
テーマ・2022年をどう生きるか

ひさびさにスタジオ(NHK411スタジオ)でオードリー・タン(台湾IT担当閣僚 台湾行政院)とリモートで再会。
世界をどうやってデジタルロジックで捉えるかというのは、コンピューターやっている人の強み。

コロナ禍3年目 。
2021年を一文字で表すなら、オードリー『零』!
(2020年の一文字は人類が同じスタートラインに立ったので『0』だった。)
今回は、ハッキリクッキリの漢字。リモートワークが何のことか分からない人はもういない。普及したものはなくなることはない。1つ進んだゼロの状態からなら未解決の問題も解決していける。

1進んでるから『壱』じゃないのかしら?

子どもたちの未来

気になっているのは、子ども。
パンデミックの期間を長く感じているのではないか?
学年は進んでいくが、学校行事や授業が十分行われていない。
この空白をどう埋める?

1968年から69年に起こった大学紛争の全共闘の時、授業は行われず入学試験そのものが中止されたりした。
受験体制に反対し、生徒が変えようと先生たちと議論していた。
大学のシステムが揺らぐ中、自分たちが何を教わり、何を学ぶべきかと大人たちにぶつけた。

子どもたちの『怒り』は、とてもよいヒント。
怒りは、時に差別や報復という方向に向いてしまうが、それは何の変化も起こさない単なる破壊です。
この場合は、○○を改善してくれと訴えて、その苦しみを上の世代が理解して、みんなで改善すれば、以後は誰も同じことで苦しまなくて済むようになる。社会をクリエイティブに変えていく怒りの力。
若者の怒りは、社会を変革(クリエイト)する。

全共闘の結果、東大の試験は、「知識の丸暗記」から「思考力」を問う形に様変わりした。文部省の要項にも「自律的に生きる力をもつこと」「新しい時代からの挑戦」などが追加された。

大人がわからないときにつけ込んで、若者がグイッと動かすことが重要。大人が答えを持っていないときに早く動くのが正しくて、既存のシステムは城壁のように硬くて動かないが、天災があったときには結構軽々動く。

ミュートしないが未来を拓く

台湾でも、2021年5月コロナ感染拡大で夏休み前の2ヶ月間にオンライン教育をする必要が生まれた。そこで、「ここは生徒たちに任せてみよう」と呼びかけた。自分のやりたいことを学び、質問したいときだけ質問する。

変化が生まれた。生徒は名前を出さなくてもチャットで質問が出来るようにしたところ、プラスチックのストローが飲み物に刺さっているところをみた生徒からすぐにツッコミが来た。(オードリーはプラスチックストロー代替政策のメンバーもしていた)
こういう質問は教室で手を挙げてしなければならない場合にはなかなかできない。必要なのは『unmute:アンミュート』新しい時代の子どもたちに、新しい意見を黙らずにどんどん出してもらうこと。

普通は子どもたちが消音(ミュート)されている。教室は子どもをミュートさせているシステム。アンミュートすると元気になる。
オンラインゲームで同時に話したり横のつながりも見られる。地球上どこにでも行って誰とでもなか仲良くなれる。これからのポストコロナカルチャーは新しい文学・ドラマ・ゲームデザインが生まれてくる観点ではチャンスに満ちあふれている。
多感な時期にそういったことを過ごしたことによって、今の大人よりは明らかに順応が早いし適応したはず。より面白いモノや価値の高いモノを作れるようになる経験をしたかもしれない。

最近読んで面白かった本


編集長:村上春樹の『騎士団長殺し』

つい、(村上春樹風の)日本語をしゃべりたくなる。
「やれやれ 今日もサンドイッチを食べるか」みたいな。
「このスマートフォンはただのスマートフォンではない。この世界のすべてが握られたスマートフォンなのだ」みたいな感じ。

オードリー:『進撃の巨人』

私はどんな作品でも必ず完結してから読みます。最終巻が出たので2日かけて一気に読んだ。
とても真面目なマンガ、単純な勧善懲悪ではなく、歴史や立場の違いで「善」も「悪」も変わる。複雑なモノを複雑なままに語っているのがとても面白かった。


オンラインで会うこと

オンラインで会うことも出来ますが、どれだけ集中しても意識の1/3しか傾けられない。残りの2/3は、どうしても自分のいる部屋のことを考えてしまいます。
人は知的な部分だけでなく、動物的な部分もある。
せっかく知的な部分でこれだけ分かり合えたのなら、実際に合えばその人のことが完全にわかる。そうすればそのあとオンラインで会うときも、まるで目の前にいるような関係になれると思います。

2022年危機

日本の人口の大きな割合を占める団塊の世代が、今年2022年以降に後期高齢者の75歳になることで、若い世代の負担が一気に増加すること。
日本経済破綻の扉を開くのではと危惧する声もある。
そもそも日本の人口は少子化の影響で減少中、高齢化による負担は増し続けるのに人口は減っていく。この2つの相乗効果で、お先真っ暗に見えてしまう日本の未来。

編集長:
その点は、利点も感じている。
人口が停滞して高齢社会になるのはどの国も確定的。世界人口も2100年ぐらいで頭打ち、その観点で言うとそういったものに対する適応は、新しい社会に早めに適応して産業構造を切り替えていくって意味でもすごく意味があるんじゃないでしょうか。

オードリー:
人口が大事だったのは、GDPのような「量」の経済を尺度としていた時の話で、これからは「質」の経済。いかに循環型で再生可能にするかが問われる経済の時代。人口なんて全く気にする必要はない。台湾は人口密度が高く、環境に対する負荷を常に重くかけていた。再生可能エネルギーを頑張って生産しても人口が増え続けてしまえば環境負荷が限界を超えて人が住むことが出来なくなってしまう。
そういう意味で、人口の減少は『自然との調和』を意味する

コモンズ?

人口が減ることをネガティブに受け取るのは、工業社会、農業社会。
人口が減っていくこと=土地に対して負担を掛ける人が少ない。みんなが豊かになると思うのが情報社会のアプローチ。

コモンズ COMMONSとは:
社会において人々が共に利用できる土地や資源のこと。

農業社会におけるコモンズは、牧草地や水、その多くに人の手が必要。
工業社会におけるコモンズは、化石燃料やレアメタル。採掘や運搬にやはり多くの人の手が不可欠。
しかし、デジタル空間はそもそも無限大。プログラムで管理が進んでいるため多くの人の手は必要としない。
少ない人数で支えられるようにするための生産プロセスやメンテナンス方法が発明されていくのはいいこと。

高齢化の可能性

高齢社会と画狂老人卍は、かなり相性がいい。

画狂老人卍(まんじ):
浮世絵師 葛飾北斎(1760-1849) が書いた文章で自分のことを指している

富岳三十六景が大ヒット、70歳を超えていたが画業とどまることを知らず富岳百景を制作。画狂老人卍:として言葉を残す。

6才から物の形を写す癖があり
(略)
70才以前に描いた物は取るに足らない物だった
(略)
90才で奥義を極め、100才で神の域に達するだろう

何歳でどう働くかは社会のシステムと関係ない
人生進めば進むほど能力が上がったり、新しい価値観に気付くということを
何歳でも思っていることはすごくポジティブ。

年齢は、他人にどうこう言われるものではなく、自分の「目安」とするだけでよいことをはっきり伝えてくれている。よい例。
仕事をしている人は定年を気にしますが、これから先の高齢化社会は定年というシステムが残るとしても『解放』を意味する言葉。

長生きすれば誰かが描いた一本線に乗っかる必要はなく、自分で自分の人生の軌跡を自由に描くことができる。これからの高齢化は線をいくつも描ける人、自分だけの図形を描ける人がたくさん増えることを意味するでしょう。


後編へ続く!


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