障がい者採用と聞いてどう感じるか?

私は企業で採用担当をしています。
対象となるのは障がい者手帳がある大学生や社会人です。

企業の採用情報をホームページで検索すると
ほとんどの企業が「障がい者採用」という方法で募集をしています。
そして大学生に対しても、障がい者手帳があるのなら、
障がい内容を開示して「障がい者採用を受けられるよ!」
「一般採用とどっちにする?」という判断を求め
ある意味で誘導するような働きかけをしていることは事実です。

けれども、私にとってこの「障がい者採用」という言葉は
企業にとっても、学生にとってもなんだか幸せにならない
言い方だなと思っています。

なぜなら。。。。

私の知り合いがこんなことを話してくれました。

「生まれつき障がいがあると、それを障がいと思っておらず
 これがありのままの自分だと思って生きてきました。
 だから、生まれた時から“障がい者“とは思っていないんです。」
「ところが、心療内科へ行き、例えば「発達障がいの傾向がありますね。」と
 言われた時、「あー、自分は障がいがあるんだ」と初めての感覚に陥り
 ました。そして、それがショックでした。」
「けれども、その時の主治医から「“障がい者“として生きるのか?」と
 聞かれたんです。それとも“難しさ“があるが、それを“障がい者である私“
 としてして生きるのか、ということには大きな違いがあると思っています」

この話を聞き、だからこそ、企業における「障がい者採用」も、

障がいに対して配慮します!多様性を重視しています!というような
誰でもウエルカムのような募集をせず、

・障がいによる難しさがあるが、“障がい者としてではない私“として
 採用を希望する方

・障がいによる難しさがあり、何らかの配慮がなければ
 働くことに不安があるまたは、自信持てないので、
 障がいを開示して“障がい者“として採用を希望する方

というように、真正面からお互いがぶつかっていけるような
採用活動ができたらいいのになと思っています。
だから、障がい者採用というコースも本当はいくつもの応募方法や
選考方法、評価方法があってもいいのかもしれません。

“障がい者“として応募してきても、それをわかった上で選考をして
配置をして、仕事を任せていけばいいと思っています。
できなことがあるのであれば、それは仕事の割り振りを変え、
その業務量が他の社員より少ないのであれば、処遇を変えればいいと思います。
なぜなら、子育てや介護をしている社員は「時間」という制約を設けることで
処遇を変えて働いています。
「難しさ」という制約についてのみ「配慮して」「処遇は同じ」では
それこそ不公平な感じを受けます。

できること・できないこと、得意なこと・苦手なこと、
どうにかできること・どうにもならないこと。
人間なので何かしらはあって当然だと思っています。
企業も学生も、もしかしたら学生を送り出す大学も、
向き合うことを恐れない。そんな採用活動ができればいいなと思っています。


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