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手編みのマフラーの思い出

 「いったい、どういうつもりなんですか、先輩!」

 何人かの女子が、一つ上の先輩に詰め寄っている。ある秋の放課後、通っていた高校の一室。いったい何が起きたんだろう。私は少し離れた椅子に腰掛け、無関心を装いつつ、耳をそばだてた。

 「俺、マフラー欲しいだなんて、あの子に言っていないぜ」
 「つきあっている彼女には言ったんですか?」
 「……いやまあ、それっぽいことは言った、かもしれない」
 「だったら、なおさら、あの子から受け取るべきじゃないでしょう! 結局、先輩は、彼女もあの子も、両方傷つけてるんですよ!」
 「そうなの……?」
 「女の子の気持ち、分かってそうで、まるで分かってないじゃないですか。あー、いらいらする! そういうの、先輩のいちばんダメなところです」
 「……当事者でもないんだし、何もお前らがそんなにいきり立つことないだろう」
 「当事者じゃなくたって、2人は私たちの友だちなんですよ!」
 

 聞いているうちに、なんとなく事情が飲み込めてきた。つまり、こういうことのようだ。
 先輩には一学年下の交際相手がいる。ごく近しい仲間にだけ、そのことを公にしていた。だから、やや距離がある人には、つきあっていること自体が分からない。

 少し軽薄な感じもするけれど、物知りで話術の巧みな先輩は、そこそこモテていた。今回は「つき合っている人はいない」と思い込んだ女の子が、先輩を好きになってしまったらしい。その子と交際相手は同学年で、一部、共通の友人もいる。目下、先輩をつるし上げているのが、その友人たちというわけだ。

 そこまでだったら、まあよくある話だろう。その先が、先輩の罪(というか天然)なところで、あろうことか、新たに好かれた女の子から、手編みのマフラーを贈られて、うかつにも受け取ってしまったのだ。

 「だって、もらえない理由を説明できないだろう」
 「あきれた。先輩、本気で言っているんですか? ちゃんと『自分にはつきあっている相手がいる』って、話せばいいだけじゃないですか」
 「いや、だって、あまり口外しないようにしようというのが、彼女との約束でもあるし」
 「それでも私たちは知っています。そういう人が、一人ぐらい増えたって、ぜんぜん問題ないじゃないですか」
 「そりゃそうだけど……」

 先輩はずっと劣勢だ。口が達者な女子高生に、こんなふうに詰められたら、さすがにいつものようには切り返せまい。ちょっと気の毒に感じたあたりで、別の一人が二の矢を放った。

 「あの子からもらっちゃったんで、彼女、先輩のために8割ぐらい編み上げていたマフラー、全部ほどいたんですよ。泣きながら」

 先輩が凍りつく音が聞こえた(ようだった)。

 「……本当に?」
 「この目で見ました。ね?」
 周囲の女子が一斉にうなずく。
 「いや、俺、あいつがマフラー編んでたことも、それをほどいたってことも、まったく聞いていない」
 「彼女、どっちも言ってませんから」
 「っていうか、なんで俺があの子からマフラーもらったってこと、あいつが知ってるんだ? それこそ俺、言ってないぞ」
 「私たちが伝えたんです」
 「……告げ口じゃんか」
 「どの口がいいますかね! 話をすり替えないでください。いちばん悪いの、誰ですか?」
 「俺、か……?」
 「先輩です!」

 うわ、なかなかエグい展開になってきた。それにしても、女の友情とはいえ、わざわざ彼女に知らせなくてもよさそうだし、それを耳にし、友だちの前で泣きながらマフラーほどくってのも、なかなかの役者じゃないか。――と内心思ったけれど、もちろん、口には出さず、私は相変わらず、見ない・聞かないふりを続けていた。

 「とにかく、まずはあの子にマフラー返して、それからちゃんと、彼女に謝ってください」
 「一度受け取ったものを、今さら返すのか……」
 「先輩、わかります? 別の女の子からマフラーを受け取ったことで、まずはつきあっている相手を傷つけた。さらに、贈ってくれた相手に返却することで、その子もまた傷つけることになるんですよ?」
 「……モテるってのも、たいへんだなあ。ははは」

 煮詰まった空気を強引に混ぜっ返そうとして、先輩が失言した。詰問する周囲の女子から、風船がしぼむようなため息が漏れる。追い詰められた先輩の気持ちも、わからないではない。とはいえ、今はもっと、空気を読むべきだ。何より、女の子同士の情報ネットワークの恐ろしさを、まざまざと見せつけられた直後、なんでこんなしくじりしますかね。その一言が2人に伝われば、死なない程度に刺されても、まるっきり文句言えないですから。

 結局、先輩はその冬を、マフラーなしで過ごしていた。ほどなく、彼女と別れ、もう一方の女の子とも、随分長く、ギクシャクしていたようだ。

 あの頃、いまぐらいの季節になると、編み物が不得手な女子は、こっそり手芸店に足を運び、練習用の毛糸を買った。簡単なステッチでも、マフラーに装飾やイニシャルを入れるとなると、これが結構、難しい。何より、そこそこ数をこなさなければ、美しくふんわり編み上げることができない。不慣れなうちは、どうしても編み目が詰まってきつくなり、見た目も肌触りもいまいちなのだ。いろいろ学んで、編み始め、何度かミスして、どうにか冬の始まりまでに間に合わせる。

 きっと、「手編みのマフラーを彼氏に贈る」なんてカルチャーは、とっくの昔に女子高生から消えているのだろう。夜な夜な好きな相手に思いを馳せ、編み棒を握るなんて、どう考えても前時代的なイメージだ。それ以前に、いまどきかなり「重たい」気がする。あの頃は、贈る方も受け取る側も、風物詩みたいに当たり前だと思っていた。やっぱり時代は移ろっている。

 まだまだ暑い日が続くけど、夜、エアコンを止めて窓を開けると、秋らしい涼やかな風が吹いてくる。

 結局、先輩はあのマフラーを返したのだろうか。

 初秋の深夜、夏の残り香を含んだ秋風にあたり、懐かしい出来事をふと思い出した。

#TenYearsAgo #手編み #マフラー #小説 #生徒会 #高校

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