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「鬼滅の刃」と「ヤマト」と「エヴァ」

 今さらだが「鬼滅の刃」の最終巻(23巻)を読んだ。未読の人もいるだろうから、以下、なるべくネタバレを避けて、感じたことを書こうと思う。

 最終巻は半ばまで、かなり凄惨なストーリーが続く。読んでいるのがいたたまれなくなるほどだ。ただ、中盤以降に劇的な展開があり、鬼狩りの話は終結する。これで終わりかと思ったら、そこから思わぬパートが始まり、さらに感動的なエピローグにつながっていく。

 私は漫画ではなく深夜アニメから「鬼滅」に入った。それまでは「週刊少年ジャンプ」の連載(2016年2月~2020年5月)も、単行本も読んだことがなかった「にわか」である。率直に言って、全体を語れるほどの知識がない。優れた「鬼滅」についての論考はネット上にも散見されるので、そちらに譲るとして、ここでは最終巻を踏まえ、過去に社会現象となった漫画・アニメとの比較で物語を見てみようと思う。

 読了し、まず感じたのは、「こういう物語は、やっぱり時代や世代を超えるのだなあ」ということだった。

 最終巻では、人を喰う鬼を倒す「鬼殺隊」と鬼との最終決戦が描かれている。敵の「ラスボス」は圧倒的に強く、主人公の竈門炭治郎ら鬼滅隊の隊員は、血みどろになり、次々と斃(たお)れていく。もうそれは、読者に感傷にひたる暇(いとま)すらも与えないほどのすさまじさだ。

 「みんなを守る」という大義のために命を懸ける隊員の姿は、こみ上げるような感動を呼ぶ。ページをめくりながら、ずっと前、こんな思いでアニメを見たな、と感じていた。「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年)だ。まだ幼かった私が、劇場に足を運んだ、たぶん、最初か二番目ぐらいの作品である。

 強大な白色彗星帝国により、地球は存亡の危機にある。早い時期から危機感を抱いた主人公の古代進らは、地球防衛軍の命令を振り切ってヤマトを発進させた。やがて、彗星帝国の脅威が誰の目にも明らかになると、地球防衛軍は強力な武器(拡散波動砲)を備えた艦隊で立ち向かうが、まったく歯が立たない。もはや地球の希望は旧式のヤマトだけだ。彗星帝国との激しい攻防のなか、乗組員たちは次々と傷つき、死んでいく。終盤、ヤマトは奇策を弄して彗星帝国に一撃を食らわせる。大きな犠牲を払って、辛くも地球は守られたーー見る者がそう安堵したところで、「ラスボス」が登場する。彗星の中から、超巨大な戦艦が姿を現すのだ。

 ヤマトはもはや満身創痍。万策尽きたと思われた時、古代は、師と仰ぐ亡き先代艦長・沖田十三の声を聴く。「古代。お前はまだ生きている。生きているじゃないか。ヤマトの命を生かすのは、お前の使命なんだ。命ある限り戦え。わかるな、古代」。古代は決意する。戦死したフィアンセである雪の亡骸(なきがら)を傍らに、反物質の体を持つテレサに誘(いざな)われて、超巨大戦艦に特攻をかけるのだ。命を懸けた古代の「勇気」によって、地球は瀬戸際で守られる。映画のキャッチコピーは「君は愛のために死ねるか、他人のために自分を犠牲にできるか」だった。

 大切な何かを守るための自己犠牲ーー。相次ぎ斃れていく鬼殺隊の隊員たちの描かれ方は、まさにその具現だ。戦後30年余りしか経っていない時代につくられた「さらば宇宙戦艦ヤマト」をめぐっては、「戦争や特攻を美化している」という批判もあった。「命を懸けてみんなを守る」という物語の骨組みにおいて、「ヤマト」と「鬼滅」は大差ないが、少なくとも私が見聞きする範囲で、「鬼滅」について同様の視点からの批判はあまりない。あの戦争は遠くになり、一方で、いつの時代にも「自己犠牲の物語」は多くの人々の心を揺さぶるということなのだろう。

 もう一つ。「鬼滅」最終巻のある場面を見て、私が思い浮かべたのは「ヱヴァンゲリヲン」だった。新劇場版「破」(2009年)のラスト近く、主人公の碇シンジが、パイロット仲間である綾波レイを救い出すシーンである。ネタバレになるので、あえて曖昧に書くが、そのくだりの「鬼滅」の描写が「ヱヴァ」の名場面を彷彿とさせるのだ。「みんなを守る」ではなく「仲間を救う」という状況を描いた点であることも、共通している。

 シンジが戦っているのは「人類を滅亡させる使徒」だ。厳父に強いられ、嫌々エヴァに乗り込むシンジには、炭治郎や古代のような使命感も自己犠牲の意識もほとんどない。常に他人と関わることに怯え、「逃げたい/逃げちゃだめだ」と繰り返すシンジは、しかし、この場面に限っては、レイという仲間を救うため、これまでにない主体性を発揮する。私は繰り返し「破」を見たが、いまだにこのときのシンジの「心変わり」の理由がわからない。臆病な少年の成長を表現したのだ、という解説もあるけれど、続編である「Q」(2012年)を見る限り、シンジにはほとんど成長が感じられない。

 シンジと鬼殺隊員のパーソナリティーには大きな違いがあるものの、「仲間を救う」場面の描写はいずれも感動的だ。「ヱヴァ」と「鬼滅」では、「みんなを守る」という大状況と「仲間を救う」という小状況が、並列して配置されている。大きな物語に、小さな物語を巧みに織り交ぜた構成の妙が、多くの人たちの琴線に触れるのだ。

 鬼狩りを終えたあとの「鬼滅」の展開には、あるいは賛否両論があるかもしれない。個人的には少し長いかな、と感じられたが、「鬼滅」が太古ではなく大正(令和のたった三つ前)を舞台にした作品であることを考えると、この丁寧さは読者ニーズに応えた優しさかもしれないとも思った。漫画のキャッチコピーは「日本一慈(やさ)しい鬼退治。」であり、大きな話題になった全国紙5紙への広告には「夜は明ける。想いは不滅。」の文字が躍った。「鬼滅」は慈しみに満ちた、現代へと続く物語なのだ。

 何度かnoteに書いてきたが、私は「エヴァ」が大好きだ。ただ、漫画やアニメの入り口には「ヤマト」があった。「ヤマト」のあとは、「機動戦士ガンダム」(1979~1980)に夢中になる。スタイリッシュなモビルスーツに惹かれたのはもちろんだが、勧善懲悪が退けられ、主人公のアムロ・レイも古代のような「ヒーロー」ではなく、等身大の少年として描かれていることに驚いた(もっとも、そう言語化できるようになったのは随分大きくなってからだけど)。シンジのキャラクター造形は、間違いなくアムロの延長線上にある。

 「エヴァ」ではさらに、主人公の「戦う意味」からパブリックな「大義」が剥奪された。シンジが使徒と戦うのは、単に「父親に命じられた」からであり、「死」を口にするのは自己犠牲ではなく自尊感情の低さからだ。「みんなを守る」のは結果論に過ぎないのである(蛇足だが、前述したレイを救い出す場面で、シンジは「僕がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。だけど綾波は、せめて綾波だけは、絶対助ける!」と叫んでいる。「世界がどうなってもいい」は一貫したシンジのニヒリズム・自己愛の発露だが、「綾波(レイ)のために、自分はどうなってもいい」は明確な主体性をともなった自己犠牲である。やっぱりこの劇的なキャラ変の理由が、私にはよくわからない)。

 「友情・努力・勝利」を編集方針に掲げた「少年ジャンプ」は、1994年末に653万部と驚異的な発行部数を記録した。テレビで「エヴァ」の放映が始まったのはその翌年である。ジャンプはその後、じりじりと部数を減らし続け、直近では150万部強と、往時の4分の1ほどになった。インターネットの普及(Windows95がリリースされ、「インターネット元年」と呼ばれているのも1995年だ)に伴う読書習慣の変化などが部数減に影響したと言われるが、「もはや『友情・努力・勝利』の時代ではない」とも指摘されてきた。

 私も「エヴァ」以降、今後は真っすぐな「友情・努力・勝利」を描いた漫画やアニメが社会現象になることはないだろうな、と思っていた。ところが、ここにきて「鬼滅」の大ヒットである。秀逸な深夜アニメ(2019年)で火が付いたとはいえ、その人気は漫画にも跳ね返り、今や単行本の累計発行部数は1億2000万部を突破。最終巻は初版だけで395万部が発行された。「鬼滅」の広告が掲載された5紙のうち、これを上回るのは読売新聞(733万部、10月)と朝日新聞(495万部、同)だけである。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト」は2017年、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」としてリメイクされた(テレビ放映は2018年)。白色彗星が地球の脅威になる、というモチーフはオリジナルと同じだが、敵役(かたきやく)である「帝星ガトランティス」は「相対化された悪」として描かれている。加えて、「大量破壊兵器」の波動砲は封印されており、特攻したはずの古代と雪も死なない。近年のアニメの文脈やポリコレに沿った「正しさ」は満たしているが、カタルシスに乏しく、オリジナルのような社会現象にはならなかった。

 人間から転化させられた鬼に一定の同情を示しつつ、「みんなを守る」ために容赦なくその首を切り落す鬼殺隊を描いた「鬼滅」は、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」よりも「さらば宇宙戦艦ヤマト」の世界観にずっと近い。「ガンダム」「エヴァ」と「進化してきた」とされる「戦う男の子の物語」は、新味を加えつつも先祖返りをしたようだ。

 もちろん、私はそれが「退化」だとか「悪いこと」だとかと指摘するつもりは毛頭ない。むしろ、相対化やポリコレが極まって、すっかりマニアや大人たちのものになってしまった感のある漫画やアニメを、再び子どもたちに還す大きな一里塚になるのではないか、という可能性すら感じている。

 「生きるか死ぬか 勝つか負けるか」

 最終巻のモノローグには、そんな言葉が出てくる。さらに「生命」と「仲間を愛する」ことへの、微塵の留保もない賛歌がちりばめられている。その世界観は「さらば宇宙戦艦ヤマト」で古代が口にする「人間にとって一番大切なものは愛することだ」「生命は全て平等でなければならない。それが宇宙の真理であり、宇宙の愛だ。(中略)俺たちは戦う。断固として戦う」に通底する。

 アニメや漫画の歴史を巻き戻した「鬼滅」の次に、凄腕のクリエーターたちはどんな「戦う男の子」の物語を紡ぐのだろう。興味が尽きない。

#鬼滅の刃 #宇宙戦艦ヤマト #ヱヴァンゲリヲン #アニメ #漫画 #TenYearsAgo


 

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