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コロナ禍の夏に、キャンパス近くの海辺を思い出す

 通っていた大学は首都圏の外れにあり、すぐ近くが海だった。この季節、1限のあと2、3限がないような時間割だと、友だちとよく海まで行った。平日の日中だから、海水浴客はほとんどいない。太陽で熱せられた砂の上に、まず段ボールや古新聞をしいて、その上にビニールシートを重ねる。腰を下ろし、何をするでもなく、ただぼんやりと海を眺めながら、ビールを飲んだ。

 そんなふうに「まったり」(死語でしょうか?)していると、たいていキャンパスに引き返すのが億劫になる。結局、ほろ酔いのまま海風にあたり、夕刻まで過ごすのだ。アルバイトがある友だちはそのまま勤務先に向かい、予定がない面子(めんつ)は安い居酒屋で飲み直す。渋谷や新宿は遥か遠く、遊べる場所も、飲食できる店も、限られていた。小ぶりなキャンパスだったこともあり、共学の公立高校のように、みんな仲が良かった。「男女の友情は成立するか?」という古くからの問いがあるけれど、私の答えは断然「YES」である。

 時代はバブルだったのに、お金に困った記憶しかない。レギュラーでいくつか家庭教師を掛け持ちし、短期や日払いのバイトもずいぶんした。それでも月末になるとカツカツで、地方から出てきて奨学金をもらいながらバイトをしている友だちに、安いお酒を飲ませてもらうなんてことが、しょっちゅうあった。今から思うと、ほとんど犯罪的な「たかり」である。

 地方出身の友だちのアパートには、ときどき、両親から段ボールが送られてきた。遠くの息子や娘を気遣う親心だったのだろう。缶詰や乾麺などがぎゅっと詰まっている。その土地でとれる野菜や果物が山ほど入っていることもあった。そんなとき、私はビールを手土産に彼や彼女の家にお邪魔して、乾物や野菜を一品料理に変え、果物をむいた。当時の多くの学生にとって、クーラーは贅沢品だったから、ぶんぶん音がする扇風機を首振りにし、ときおり汗をぬぐいながら、深夜まで雑談にはなを咲かせた。本当に楽しかった。

 東京を中心に、今また、コロナの感染者が増えている。首都圏の大学では、春からずっと、リモート授業が続いているようだ。サークル活動やイベントが、中止や縮小に追い込まれたところもあるらしい。リスクを考えると、やむを得ないかなと思う半面、学生さんを気の毒に感じる。

 私たちが過ごした頃と比べると、大学はだいぶ厳しくなったと聞く。きっと、気まぐれに終日砂浜で過ごしているようでは、単位取得もおぼつかないのだろう。でも、と思う。大学ではたくさんの知の楽しみを知ることができたけど、それ以上に、育んだ友情が自分の生涯の宝になった。

 あれから30年が過ぎた。すらりとした美人女子大生はふくよかな2児の母になり、キャンパスのお調子者だった男子は企業の管理職になっても一回り下の会社の後輩に熱をあげている。もちろん、私の腹囲もずいぶん「成長」し、駅の階段をのぼっただけで息切れする体たらくだ。自由に使えるお金こそ、あの頃よりも増えたけれど、みんな家庭や仕事や事情があるから、今は気まぐれには会えない。けれども、いざ集まれば、あっという間に時間が戻る。困った時にはできる範囲で支え合う。友だちのかけがえのなさを、改めて感じている。

 もちろん、社会に出てから仲良くなった人たちだっている。でも、見えない未来におののいて、そのくせ精いっぱいのポジティブを気取り、全員が横一線でもがいていた、あの時代に出会ったような友だちは、少なくとも私にはできなかった。

 終わらぬコロナ禍に、みんなの命を必死で守ってくれている医療従事者に感謝し、患者さんの回復を願う。そして、一日も早くキャンパスに日常が戻ることも、心から祈っている。

 

 

 

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