アグネスゴールド、2度目のチャンスを得た南米でまばゆい輝きを放つ
アグネスゴールドは日本とアメリカで失意の種牡馬生活を過ごした後、ブラジルへと渡って才能が爆発した。残念ながら、現在は種付け生活から退いている。
今日の種牡馬市場において、泣きの1回は滅多に与えられない。これは南米だけでなく、世界の競馬界で言えることである。種牡馬は種牡入りした直後から成功しなければならない。なぜなら、どんなに年月を経て優秀な産駒の数が増えようとも、その間に種牡馬競争の山はどんどん高く、あまりにも高くなっているからである。
アグネスゴールド。様々な場所で種付けを行ない、種牡馬を引退したばかりである。ここわずか半年の間にブラジル、ウルグアイ、アメリカでGⅠ競走の勝ち馬を輩出し、アルゼンチンでも産駒の活躍が目立つ。そんなアグネスゴールドが歩んだ道程は、競馬界でもほとんど類を見ないものだろう。
日本産まれ、23歳、そして、偉大なるサンデーサイレンスの息子。アグネスゴールドは先週日曜日、リオ・デ・ジャネイロにあるガヴェア競馬場でセンセーショナルな連勝を成し遂げた。ジャネールモネイ(Janelle Monae)が牝馬3冠競走の2冠目を、クーロエカミーチャ(Culo E Camicia)が牡馬3冠競走の2冠目を優勝したのである。また、1月17日のオンラレアル(Honra Real)によるウルグアイ・マローニャス競馬場のGⅠシウダー・デ・モンテビデオの勝利と、昨年10月3日の王者イバール(Ivar)によるアメリカ・キーンランド競馬場のGⅠシャドウェル・ターフ・マイル・ステークスの勝利も記憶に新しい。
アグネスゴールドは日本で優れた競走馬だった。社台ファームの生産で、馬主は渡辺孝男氏。2,3歳時に7戦しただけだが、デビューから無傷の4連勝で京都競馬場で行なわれたGⅢきさらぎ賞と、中山競馬場で行なわれたGⅡスプリングSを優勝した。阪神競馬場のGⅢ鳴尾記念で3着を最後に現役を引退した。
2004年から2006年にかけて、アグネスゴールドは日本のレックス・スタッドで種牡馬入りした。しかし、充分な種付け機会に恵まれなかった。2007年からは、アメリカのラムホルム・サウス牧場に移動した。だが、そこでも活躍することはできなかった。ファピアノと同じ牝系を持つアグネスゴールドの馬生が上向いたきっかけは、ブラジルを拠点とするスウェーデン人馬主のステファン・フリボルグ氏が、エストレーラ・エネルジーア牧場のために彼を購入し、ブラジルに輸入したことである。
生産者はあまり見栄えのしない、種牡馬として失格の烙印を押されたこの馬に何を見たのだろう? 残念ながら、フリボルグ氏はすでにこの世を去っており、この謎を解明することはできない。おそらく直感と知識によるものだったのだろうが、アグネスゴールドはついに素晴らしい種牡馬となった。南米における初年度産駒から活躍馬を輩出し、失敗した種牡馬から成功した種牡馬へと評価を一変させてみせた。これはほとんど奇跡と言える。
2009年に産まれたブラジル初年度産駒の代表馬には、牝馬のアビジャン(Abidjan)がいる。アビジャンはブラジル牝馬3冠の第3戦目GⅠゼリア・ゴンザーガ・ペイショット・ヂ・カストロを勝利した。また、アントネッラベイビー(Antonella Baby)は牝馬3冠第1戦目のGⅠエンヒキ・ポソーロの勝ち馬であり、エネルジーアエレガンチ(Energia Elegante)はGⅡルイス・フェルナンド・シルニ・リマとGⅢフランシスコ・V・ヂ・パウラ・マシャードを制するなど、リオ・デ・ジャネイロでもっとも優れた2歳馬の1頭となった。
これ以降も、アグネスゴールドは限られた産駒数にもかかわらず、常に輝きを放った。エネルジーアフリビー(Energia Fribby)、サイレンスイズゴールド(Silence Is Gold)といったGⅠ馬に加えて、エネルジーアグシュタード(Energia Gstaad)、エネルジーアガローア(Energia Garoa)など、数多くの優秀なサラブレッドを輩出した。2015年、フリボルグ氏が亡くなってエストレーラ・エネルジーア牧場が解散すると、アグネスゴールドはヒオ・ドイス・イルマノス牧場を中心とした生産者連合に購入された。
ヒオ・ドイス・イルマノスの統括を担うベト・フィゲイレーロ氏は次のように語る。「シンジケートが組まれたとき、アグネスゴールドはすでに16歳になっていたが、私の目には素晴らしい馬に映った。私はアグネスゴールドをブラジルでイコン的な種牡馬となったガディール(Ghadeer)と比較するし、アルゼンチンのサザンヘイロー(Southern Halo)やバーンスタイン(Bernstein)のレベルに達していると思う。多くの種付け機会に恵まれ、牧場の後押しで良質な繁殖牝馬をあてがわれたおかげでもあるけれど。アグネスゴールドの種牡馬生活は簡単ではなかった。彼は健康状態が優れず、我々は3年種付けできれば御の字と考えていた。幸運にも、その期間は延びてくれた。残念ながら、アグネスゴールドは2020年に感染症にかかってしまい、生殖機能に問題が生じたため、種付けができなかった。これ以上種牡馬を続けることはできない。残念である」
アグネスゴールドが晩年に残した産駒の活躍は目覚ましい。イバール(Ivar)、ヘウェア(Hevea)、マイスキボニータ(Mais Que Bonita)、オンラレアル(Honra Real)、アブダビ(Abu Dhabi)、オリンピックジョンスノー(Olympic Johnsnow)、ナタン(Nathan)、そして前述のジャネールモネイ(Janelle Monae)とクーロエカミーチャ(Culo E Camicia)。彼らはすべてGⅠ馬である。
ブラジル・スタッドブックによると、アグネスゴールド産駒は506頭が登録されており、399頭が競走年代に達している。うち246頭(61.7%)が競走馬としてデビューし、186頭(46.6%)が勝ち星をあげた。ブラックタイプ競走を制した馬は31頭(7.8%)いる。これらの数値は、種牡馬アグネスゴールドがいかに偉大であったかを示すものである。
アグネスゴールドがブラジル、ウルグアイ、アメリカと3ヶ国同時に見せている活躍は、ロイ(Roy)――この馬もファピアノと繋がるのは偶然ではないだろう――に匹敵しうるものである。ロイはチリで種牡馬として供用され、ブラジルでも種牡馬となり、後にアルゼンチンのバカシオン牧場で繋養された。また、キャンディーストライプ(Candy Stripe)もアルゼンチンとブラジルの2か国で際立った成績を残したことから、アグネスゴールドと比較できる。
最後に、サンデーサイレンスとその子供たちの活躍を述べる。アグネスゴールドと同様、ハットトリックも南米大陸で強い輝きを放った種牡馬である。現在、南米でサンデー系の血を持つ馬は少ないものの、例えばチリでは、日本GⅡの勝ち馬でディープインパクト産駒のヒラボクディープが、2019年からマトリアルカ牧場で種牡馬として供用されている。
アグネスゴールドの産駒はまだ現役の競走馬として走っている。その中から新たなチャンピオン・ホースが登場するだろう。捨てられた種牡馬から、唯一無二の偉大なる種牡馬へ。これがアグネスゴールドの物語。語らずにはいられない。
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木下 昂也(Koya Kinoshita)
Twitter : @koyakinoshita24
G-mail : kinoshita.koya1024@gmail.com
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