シーキングザダイヤとは何者だったのか?知られざる紆余曲折の歴史を振り返る
イクイノックスが勝った2023年のジャパンカップには、チリのメディアが東京競馬場まで取材に来た。リポーターが1人、現役の調教師が1人、元騎手が1人という3人構成だった。
筆者は彼らの世話役として特別に取材に同行させてもらった。その際、競馬博物館を訪れる機会があった。
彼らと一緒に競馬博物館を回って驚いたことは、彼らはエルコンドルパサーやオルフェーヴルが何者か知らないどころか、ディープインパクトやコントレイルさえもイマイチどんな馬なのかピンと来ていなかった。エルコンドルパサーについて現役の調教師は、「この馬の名前は良いね(笑)」というくらいの淡泊な感想だった。
エルコンドルパサー(El Cóndor Pasa)はスペイン語で「コンドルは飛んでいく」という意味である。これは、アンデス山脈地域では非常に有名な曲のタイトルである。調教師が良い名前と評価したのはそのためである。
ディープインパクトとコントレイルを知らないのだから、当然、福永祐一も川田将雅も知らなかった。武豊でなんとか名前は聞いたことがあるというレベルだった。外国の競馬好きの日本競馬への理解というのはそんな程度なのだと思い知らされた。
競馬博物館の後、我々は府中本町駅まで歩いた。彼らがどうしても浦和競馬場に行きたいというリクエストをしてきたからである。
府中本町駅までの道中、東京競馬場の正門にシートを敷いている人を見かけた。リポーターに「あの人たちは何をしてるんだ?」と訊かれたので、筆者は「ジャパンカップの開門を待っているんだ」と教えた。すると、「ジャパンカップまでまだ3日もあるんだぞ!気が狂ってる!」と、とんでもない驚きようだった。日本の競馬ファンの情熱、あるいは狂気を分かってくれたみたいだ。
さて、チリのメディアがどうして浦和競馬場に行きたがったのかというと、理由は2つある。
1つ目、東京競馬場ではない別の競馬場を知りたかったから。その日に東京近郊で開催している競馬は浦和競馬場だった。
2つ目、チリの競馬ファンが唯一知っている日本の馬が、過去に浦和競馬場で走っていたからである。
彼らにとって日本競馬とはエルコンドルパサーでもオルフェーヴルでもない。ましてや、ディープインパクトでもコントレイルでもない。シーキングザダイヤなのである。
しかし、シーキングザダイヤがなぜチリで?
今回は、シーキングザダイヤのチリでの活躍と紆余曲折の歴史を詳しく振り返っていく。
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