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モダンデザインについてのちょっとした推測。

ざっくりモダンデザイン概要


大学でデザインの授業があるときは大体は19世紀の後半から話して、ウイリアムモリスのレッドハウスあたりから始まってドイツ工作連盟からバウハウスとか、もう少し詳しくなるとロシアアヴァンギャルドやイタリアの未来派とか教わって、大戦があってアメリカンデザインというのが大方の流れではないでしょうか。

僕も当然19世紀から20世紀初頭のデザインの流れは大好物で、たくさん本も読みました。で、ですね、モダンデザインの系譜で学ぶと案外「アールヌーボー」や「アールデコ」というのは取り上げられない。もちろん習わないことはないですし、ドイツの「ユーゲント・シュティール」が実質的にはドイツの「アールヌーボー」で、そこからペーター・ベーレンスはドイツ工作連盟に参加、ベーレンスの事務所にはグロピウス、ミース、コルビジェが在籍していたわけですからアールヌーボーの流れからモダンが生まれてきたと言っても過言ではない。というような解説はちょくちょく見かけるわけです。だがしかし・・・・。

バビロン・ベルリン

「バビロン・ベルリン」というドイツで制作されたテレビシリーズ、ドイツ史上最高の製作費をかけたとのことで、それはもう本当にすごい豪華。1929年が舞台という1920年代大好物な僕にとっては本当にありがたいドラマなのです。
実際、上記ペーター・ベーレンスの建築でもロケをしていて本当泣かせてくれます。(おと吉先生教えてくれてありがとうございます)
まあ内容としては暗いですし、「バビロン」というだけあって子どもと一緒に見れるものでもないしお勧めしません。しかし画面全体から感じる1929年のベルリンは本当にこんな感じだったんだろうなあと感じます。

まあでも疑り深い性分としては当時のベルリンの本物も見てみたく探しまして、
Walther Ruttmann(ワルター・ルットマン)の「ベルリン大都市交響曲」という実験的記録映画を見つけました。
Berlin - Symphonie einer Großstadt (1927) | von Walther Ruttmann
お時間あればこれも見ていただくと「バビロン・ベルリン」がどれだけ忠実に作られているかよくわかると思います。しかし1927年って電球や瓶詰めなど思った以上に機械化されていて、多少驚きました。道にはまだ馬車もいっぱい走っているけど路面電車もどんどん走っていて、近代化・機械化って一足飛びじゃなかったことがよくわかります。
余談ですが、この記録映画と同年1927年にフリッツ・ラングの「メトロポリス」も公開されています。そう考えるとすごいですね。

あれ?モダンデザインは?

で、楽しみながら見ていて途中であれ?って思ったんですが、実はモダンデザインのファニチャーなどがほとんど出てこない。

僕より詳しい人はいくらでもいるからあまりに雑然とかもしれませんが一応あらかじめ補足しておきますとドイツのモダンデザインで一番重要な「バウハウス」は1919年ヴァイマールに開校・1922年にカンディンスキーを招聘、1923年にヨハネスイッテンが去り、1925年にデッサウに移転。という感じで、もはや一活動ではなくて大きなデザインの転換点として機能しているはず、ちなみに超有名なミースのバルセロナパビリオンがこの「バビロン・ベルリン」と同じ1929年、コルビジェのサヴォア邸も1928年から設計開始・1931年竣工と極めて近い。

けれども「バビロン・ベルリン」には驚くほど出てこなくて、歴史的に雰囲気が混乱するので敢えて出してないのかな?って思った程だったのでした。

しかしようやく第4話の警察署内、殺人課のオフィスにてマルセルブロイヤーの「チェスカチェア」がまとめて登場するのです。
実はこの物語内、重要な場所となるナイトクラブはアールデコの様式の内装や照明ですし、クラブに出入りする女性の服装も大体みんな「モンパルナスのキキ」みたいな格好をしているからまさにアールデコです。
金まわりが良いと思われる主人公の上司である上級警部の家の内装はちゃんとしたちゃんとした調度品が揃い、クラシック(ロマネスク的?)な佇まいをしているし、一方ヒロインの貧しいアパートは一応電灯はあるけど18世紀の風俗画とほとんど変わらない猥雑さがある。

まあヨーロッパですから家はもちろん家具も代々使っていて、それがどんどん溜まって「ひとつの様式では捉えきれないヨーロッパの自宅調度」が出来上がるんだと思います。ちなみにお金持ち一戸建ての財務長官のお家は照明や食器はデコらしきものも多く子ども部屋の壁紙がモリスの「いちご泥棒」(イギリスから輸入している訳だからやはりお金持ち)、絨毯はモダンっぽい(これ何か知りたいなあ・・・・)という感じで、新しいものもちょくちょく買える財力があることがうかがえます。

1920年代のモダンデザインの立場(推測)


で、結論としてはおそらく、「モダンデザイン」って大衆的には流行ってなかったんだろうなと思いました。デザインという「井戸」で学んでいるとアールヌーボーもアールデコも大衆的で一過性という印象で、産業革命や時代の変化から生まれた「モダンデザイン」が20世紀初頭に社会に花咲いたというのが普通だったのだけど、当時は庶民のレベルまで「デザイン」が達してなかったと考える方が自然なようです。

もちろんバウハウスは大きく活動していた訳だけどそれもどちらかというと「公共事業」の中の出来事で(公立だし)、社会的な階級が存在するワイマールでは中〜下の生活レベルの人は家具とか買わない(代々持っているもので済ませる)上流の方は財力あるけど工業製品とか要らない。となるとニーズが生まれないわけで、でも存続のためにも売らないといけないわけだから役所とか警察署とかの公共施設に多数投入された(たくさん売れた実績を作った)というのが本当ではないかと思います。また、当時のインテリ層の多くが「共産主義」的な考え方に賛同していたことを考えると、バウハウスは現状の「公共」に製品を売りつつ、貧困層の生活レベルを引き上げる可能性を持つ共産化活動を行うことによって、自らのデザイン市場の拡大(みんなが家具持てる)を狙ったのではないかと思います。

まあ、19末〜20世紀初頭のモダンデザイン(それだけに関わらずファインアートも文学も演劇もなんですが)は共産主義と切り離して考えられないところも多く、もちろんそれだけ夢と希望があったということなんですが、実はロビー活動のような政治的働きかけ(そうでなければバルセロナパビリオンは建ってないんじゃないかと思う)と、インテリ層への共産主義と掛け合わせた支持によって「モダンデザインここにあり」という膨大な記録が生まれたのではないかと。
一方、リアルタイム大衆文化としては一次世界大戦後の退廃的ムードと合わせてアール・デコが現代のファッション流行と同じように消費され続けていたというのが自然な考え方なんだろうなと思います。

実は「バウハウスはナチスに閉鎖させられた」というのは当時の文化全体から見ればそれほど大した事件ではなかったのかもしれない、まで言ってしまうと誤解を生みそうだけれども、ナチスが潰そうとしたのは「共産主義的イデオロギー(しかも結構政治的社会的影響力がある)」で、「モダンデザイン」をナチスの古典主義傾倒の対岸に追いやって退廃芸術と同じように潰したと考えるのはちょっと無理があると思うようになりました。

たまたま、「モダンデザイン」と「共産主義」と「デカダンス」は同時期に存在したものであり、根っこが同じというのは僕は無理があると思うし(もちろん第一次世界大戦後のワイマールという混沌とした土壌があるにせよ)「共産主義」と「デカダンス」に比べれば「モダンデザイン」は並べられないほどほんと小さな枠組みだと思います。

「バウハウス」が、「デザイン」が、本当に社会を変える力を持つのは第二次世界大戦後ですよね。デザイン思想として受け継がれ、また公になる記録もたくさん残していた。だから1920年代のモダンデザイン出発点まで戻ることができ、その全体像を明確にすることが出来る。

どうしてもデザインの文脈でデザインの書籍で勉強してしまうから、色々なことを現代のブームのように社会現象として存在したように感じてしまうけど、他の文化や社会や歴史と並べて考えることも大切だなあと感じたのでした。






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