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東京と大阪のエスカレーター

令和3年4月3日の日記
エスカレーターで立ち止まる場所が東京は左で大阪が右、という話題を引っ越しの多い年度初めに毎年耳にします。

先日の読売新聞の編集手帳によると、東京で左に人が寄るのは、江戸時代に前から来る武士の左腰にさげた刀にぶつからないようにしたためで、大阪で右に寄ることになったのは、商人が大切な商品を右手に持ち町家に沿って歩いたから、という「不確かな」起源説もあるらしいです。

このエスカレーターのどっちで立ち止まるかっていう話、聞くたびに私は不思議で、こんなものは「いちばん前の人」が決めればいいだけなんじゃないかと思うんですよね。東京から大阪に引っ越してきた人が「あ、そうか、大阪は右に寄らなければいけないんだな」と左に寄っていたのを右に寄らないといけないものなのでしょうか。逆に大阪の人は前の人が左に寄って立ち止まっていたら、「あほんだら、ここは大阪やないけー、大阪は右に寄るんとちがうけーワレー、いてこましたろかあほんだらー」などと難癖を付けたりするものなのでしょうか。

私はこれまでどこのエスカレーターを使うにしろ、「前に倣う」でやってきて今まで困ったことがないし、自分が一番前になったときも、「あれ?どっちに寄るんだっけ?」と考えたことはなかったものですから、よくわからないのです。本当にこんな些細なことで「違う、違う、そうじゃ、そうじゃなーい」といちゃもんを付ける人がいるんですか。

同じ関西でも京都は大阪と違って東京ルールが適用されるということを聞いたこともありますが、これもなんかピンときません。実際どのくらいの人が気にしているものなんでしょうか。

こんなことで個性を出そうとしなくても、東京も大阪も京都も、世界に誇れる地域性がいくらでもあるはずです。細かいところを「うちでは◯◯ですから」とネチネチ指摘するのって、結局、自分の知ってる範囲の知識について、知らない人を貶めることにより、自分の優位性を保とうとする、恥ずかしい行為ではないでしょうか。優秀とみられる新人に対して「このままでは私の仕事がこのコに奪われて私の居場所がなくなってしまう」と考える指導係がやりがちな過ちです。

設置から100年も経っていないであろうエスカレーターについて、立ち止まり方を東京では大阪ではというのは、オンライン会議で目上の人がログアウトするまで待つとか、背景はバーチャル画像を使うとか、わけのわからないマナーを叫ぶ人たちと変わらないような気がするのです。

そんななか、埼玉県議会では、エスカレーターに立ち止まって乗ることを求める条例が成立しました。左も右も関係ありません。どちらかを空ける必要がなくなります。どちらかに偏ればエスカレーターに負担がかかるゆえ、本来、立ち止まるのが正解なのだそうです。つまり、大阪も東京も京都もみんな、前提が間違っているところに、右か左かでお互い争っていたわけで、やっぱりこんな不毛な争いは一刻も早く止めるべきだと思った次第でございます。

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