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短編小説『夜ばっかりのプレイリスト』

 合唱団の練習の帰り道、弥助はいつも「お腹空いた」といいます。小学4年生の彼はそのうち、空腹を訴える際に「腹減った」というようになるのでしょうね。いまのままでいてほしいとも思うし、はやく親の手を離れてほしいとも思います。なんて、いつも世話をしているかのように書きましたが、子育ては妻に任せっきりですから、これを妻が読んだら「どの口がはやく親の手を離れてほしいと?」と怒られてしまいそうです。いま、妻は次男の奏助と一緒に風呂に入っています。

 「お腹空いた」という弥助には、帰り道、僕に何かを買ってもらえるという算段があります。いつもは三条会商店街のフレスコの向かいの屋台でクリーム入りのたい焼きを買ってやりますが、今日はあんこ入り以外が売り切れていました。弥助はあんこが嫌いです。甘い口になっているのだろうと思ったのですが、「じゃあ、からあげクン買って」とせがまれました。生まれてこの方、高収入だった経験のない僕は、妻にも恋人同士だった頃から、何かを買ってくれと言われたことがありませんから、この手のお願いに滅法弱く、「いいよいいよ」と、生粋の京都人でもなければ形容詞でもないのに2回「いいよ」を繰り返しましたが、
「あかんわ。帰り道にローソンがないわ」と言うと、「商店街の入口にファミリーマートあるやろ。あそこでからあげクンみたいなやつ買うてくれたらええで」と返してくるものですから、昔お付き合いしていた彼女が、松浦亜弥似のAV女優について「似てることを売りにされる心境ってどんなもんなんやろう。私なら絶対に認められへん」と言っていたのを反射的に思い出しました。

 「からあげクンみたいなやつ」を買いました。「奏助が欲しがるとめんどくさいから、家に着くまでに食うてしまえよ」と言うと、「わかったわかった」と2回繰り返しながら、何個か入っているうちの一つに爪楊枝を突き刺しました。この子は生粋の京都人です。
 自転車を押しながら歩く僕の隣で、からあげクンみたいなやつを食べながら弥助が歩いています。なんやかんやとお喋りしながらの帰り道ですが、食べている間は小休止です。

 そろそろ自宅に到着、というところで弥助がまだ、からあげクンみたいなやつを食べ切れていなかったので、「待ってるから、ここで食べてしまえ」と言い、完食を促しました。
 と言っても、あと一つしか無かったので、すぐに食べ終わるだろうと思っていたのですが、僕なら一口で平らげてしまう、その塊を弥助は4回に分けて食べ切りました。
 
 一部始終を見ていた僕は、ひどく感情を揺さぶられました。あの一つの塊が大切に大切に少しずつ少しずつ、弥助の口の中に入っていくのを見て、ろくに味わいもせずに一つ丸ごとパクっといってしまう自分の感性の劣化を嘆きました。彼が泳いでいる感受性の海は、僕のところでは、すっかり干上がり、砂漠が広がっているのでした。

 弥助との風呂上がり、焼酎ハイボールを飲みながら、彼があの一塊を食す場面を繰り返し脳内再生しておりますと、「聴く?」と言ってイヤホンの片側を差し出してきました。
 弥助の作ったプレイリストで「ずっと真夜中でいいのに。」というユニットの「秒針を噛む」という曲が流れていました。
 弥助が左耳、僕が右耳にイヤホンを装着して同じ曲を聴きます。同じ曲を聴いているのに、きっと僕と弥助とでは、この曲から感じとることのできるものの量にも質にも、少なく見積もって4倍の開きはあるのでしょう。
 プレイリストはその後、ヨルシカからYOASOBIへと流れていきました。「夜ばっかりやないか!」という、誰にでも思いつきそうな感想を口にすることはせず、妻と奏助がお風呂から出てくるまでは、一緒にこうして同じ曲を聴いていようと思いました。

 ヨルシカが「もう一回」と歌っているとき、弥助の頭を撫ぜてみた。ひんやりと冷たい。お湯は風呂上がりに水へと変わるだろう。ヨルシカを聴いていても、言葉遊びに使うのは山下達郎なんですよね。次男と一緒にお風呂に入っているのは、確か僕の妻だったよな。きっと君は家内。5年前なら笑ってもらえた替え歌でも、いまは「家内とはいかがなものか」なんていう論調に笑いが消されてしまうのです。悪いこととは思っていませんが、せっかく面白いことを思いついたのに時代遅れになってしまっているのは、いろいろと悲しいものです。

 YOASOBIの「怪物」という曲のことを「この曲の歌詞がいいねん」と弥助が言います。ああ、そうか。ちゃんと歌詞を聴いて共感しているのか、という当たり前のことに改めて驚き、とりあえず、からあげクンの一塊を4回に分けて食べてみたら、僕にも分かることが増えるかもしれないなーと思いました。

 妻と奏助がお風呂から出てきましたが、もう少し彼のプレイリストを聴くことにします。

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