やはり禁忌の森

彼女は大学を卒業するとそのまま東京の会社に就職した。
中部地方の田舎で生まれ育った彼女にとって東京はまさに憧れの大都会だった。
両親とは大学を卒業した後は実家に戻り地元の会社に就職する約束だったが、一度華やかな都会暮らしに慣れてしまうと、どうしても実家に戻る決心がつかなかった。
田舎じゃ幸せにはならない・・・。
東京でこそ、私は幸せになれる・・・。
そう思っていたのだという。
大学の4年間でかかった費用も毎月の仕送りも全ては両親が苦労して工面してくれたお金なのは彼女にもよく分かっていた。
だからこそ東京に残りたいと両親に言い出せないまま月日が流れ彼女は両親の了解も得られないままと今日の会社に就職しそのまま生活を続けた。
いつ両親から
「いつ実家に戻って来るんだ?」
そんな連絡が入るかとびくびくしていた彼女だったが実際には両親からの連絡は無かった。
いや、母親から電話やメールが入る事はあったが何故か一度も大学卒業後に実家に戻るという約束に触れる事は無かった。
彼女は内心ホッとしていたがやはり後ろめたさを強く感じていたのか、それから両親とは次第に疎遠になっていった。
電話がかかって来ても
「ごめん、今忙しいから・・・」
と言って電話を切る事が多かったし彼女から電話をかけた事は一度も無かった。
それからお互いに連絡を取る事も無くなり彼女は心置きなく東京での暮らしを満喫できるはずだった。
大学4年間の暮らしは貧乏学生という理由でなかなか楽しめないのだと彼女は思っていた。
しかし、それが勘違いだったと気付いたのは社会人になって5年ほど経った頃だった。
仕事にも馴染めず同僚とも親しくはなれなかった。
狭く古いアパートでの貧乏な生活。
毎日の満員電車での通勤。
友達も彼氏もいない孤独な生活。
仕事から帰って粗末な食事をし寝るだけの毎日。
それらが彼女の精神を疲弊させていった。
そして彼女は思い切って会社を辞めて実家に戻ろうと決心した。
もう幸せな人生など望まない・・・。
田舎でひっそりと暮らしていこう・・・。
そう思ったそうだ。
しかし運命というのは本当に過酷なものなのかもしれない。
次の日曜日には両親に電話をして実家に戻る事を伝えよう!
そう思っていたある日、親戚から電話が入った。
両親の訃報を告げる電話だった。
買い物の為、一緒に車に乗っていた両親はセンターラインを割って突っ込んできた車を避けきれず衝突した後、そのままガードレールを突き破って3メートル下の用水路に落ちた。
救急車が到着した段階ですぐに即死だと判断された。
ある日突然、父親も母親も亡くなってしまった事に彼女は呆然とし悲しみと共に酷い孤独感に襲われた。
涙はあまり流れなかった。
あまりにもショックが大き過ぎたから。
そしてその時初めて彼女は気付いたのだという。
自分が日々の些細な出来事に不満を言いながらものうのうと生きて来られたのは帰る場所、そして両親がいてくれたからなのだ、と。
彼女は翌日急いで実家に戻った。
無事に葬儀を終えても涙は流れなかった。
しかし、親戚から彼女に手渡された、両親が彼女の為にずっと貯めていたという預金通帳を見せられた時、彼女は初めて泣いた。
どれだけ泣いても涙は止まらなかった。
1人きりになった実家にいると自分のしてきた親不孝が本当に情けなく
感じられ強い自己嫌悪を感じたという。
そうしてようやく涙が止まった時、彼女はこんな決心をしたそうだ。
 
自分みたいな最低な人間に生きている資格など無い・・・。
いっそこのまま死んでしまおう・・・。
きっと両親もそれを望んでるはずだから・・・と。
 
彼女はどうやって死のうか?とそればかり考えた。
そして、ふと思い出したのは彼女がまだ実家で暮らしていた頃、友達と話していた噂話だった。
 
町はずれの神社の裏には深い森が広がっている・・・。
その森は生きた者が決して足を踏み入れてはいけない聖域・・・。
魑魅魍魎が跋扈し死者だけが棲みついている場所・・・。
一度入ったら二度とその森からは出られない・・・。
何故ならその森はあの世へと繋がっているから・・・。
 
そんな噂だった。
当時は怖くて誰も近づけなかった。
好奇心は沸いたがそのまま死ぬのは嫌だった。
しかし、死ぬ方法も見つけられず、いや自殺する勇気も無い自分にとってはまさに
うってつけの場所だった。
そう考えてからの彼女の行動は迅速だった。
既に真夜中を過ぎていたがこれから死ぬ自分にとってはそんな事など何の支障にも
ならなかった。
当時はあれほど恐ろしく感じられた森が何故かその時は早く行きたくて仕方ない
ほどの場所になっていた。
すぐに家を出た彼女はそのまま徒歩で神社へと歩いた。
あの頃はとても遠い場所に感じられた神社も大人になった彼女にとっては
20分程度の距離だった。
神社は昔から何も変わっていなかった。
誰かが定期的に清掃しているのか、それなりに綺麗な状態は保たれていたがそれでも
神社は古い建物のままで相変わらず社務所も無く誰もいないのも当時のままだった。
そして、神社の周りは鬱蒼とした草木が茂っており相変わらず誰も近づかない神社である
事を証明している様に感じた。
彼女は少し嬉しくなった。
これならあの噂もまだ生き続けているはず・・・。
あとは森へ入ってひたすら前へ歩いていくだけでいい・・・と。
 
神社の境内を通り裏の方へ行くと其処には何本かの太い縄が張られた場所が在り、
その奥には鬱蒼と茂った深い森が広がっていた。
 
すみません・・・・通らせてもらいますね・・・。
 
そう小さく呟きながら彼女は太い縄を潜って森へと踏み入った。
それまで夜道を歩いてきて暗闇には十分目が慣れているつもりだったが予想以上は
深く生い茂った森の中は月の光さえ届かず彼女は一旦その場で立ち止まった。
 
自分は森の奥まで行ってあの世に辿り着かなければいけないんだ・・・。
何も見えない暗闇の中をやみくもに歩いていって途中で怪我でもして奥まで
辿り着けなかったら死んでも死にきれない・・・。
 
そう思ったのだという。
その場で5分ほど待っていたが目が暗闇に慣れる事は無かった。
きっと数メートル先に誰かが立っていたとしても分からない程の視界。
それでも彼女には前へ進むしかなかった。
思い切って一歩踏み出そうとした時、突然森の中に一本だけ薄っすらと白く光っている
道が浮かび上がった。
 
あっ、この道を進めっていう事だよね・・・。
この森は私を受け入れて道を示してくれたんだ・・・。
やっぱり私はこの森でなら死ねるんだ・・・。
 
そう感じながら彼女は白い光に添ってまた歩き始めた。
全く恐怖は感じなかった。
当時はあれ程怖がり避けていた森も実際に入ってみれば心地良い程に心が落ち着いた。
死ぬってこういう事なんだよね・・・。
今の私には怖いモノは何も無いんだから・・・。
 
そう思いながら歩いていると次第に目が慣れてきたのか、周囲の景色も薄っすらと
見えるようになってきた。
彼女が歩いている薄っすらと白い光の道だけがきれいに開けておりそれ以外の
場所はどこまでも続いている様な森が広がっており折り重なるように生えている
木々の間からは誰かがじっと此方を見ている様な視線が感じられた。
そして、時折、何処かからヒソヒソと話す声すら聞こえてきた。
それでも全く怖さは感じなかった。
自分ももうすぐこの世の者ではなくなる・・・。
そう思うだけで何も怖くはなかった。
すると背後からポンと肩を叩かれた。
さすがにビクッとなり思わず後ろを振り返るとそこには見慣れた顔があった。
それが中学校時代に病気で亡くなった女友達だとすぐに気付いた。
しかし、驚きはしたが全く怖さは感じなかった。
何も言わずじっと女友達の顔を見ていた。
すると女友達は
あのね・・・まだ来ない方がいいよ・・・。
きっと後悔すると思うよ・・・。
と声を掛けてきた。
しかし、彼女は女友達に
うん・・・でももういいの・・・。
心配してくれてありがと・・・。
あっちに行ってもまた会えるよね?
と声を掛けるとその女友達は首を横に振りながらスーッと消えていったという。
彼女はつい今まで亡くなった女友達が立っていた場所に向かって深々とお辞儀を
すると、また森の奥へと歩き出した。
そのまま少し進むと今度はまた知った顔が前方に立っていた。
しかもそれはかなりの人数。
そしてその誰もがこれまで彼女が生きてきて葬儀に参列した記憶のある人達ばかり。
それらが全員、彼女に向かって通せんぼをする様に立ちはだかりゆっくり首を
横に振っていた。
彼女は一瞬立ち止まったがすぐにまた歩き出した。
すみません・・・・もう決めた事なので・・・。
そう言いながらペコペコとお辞儀をして・・・。
なにかとても不思議な気持ちだった。
死んだ人たちが自分の前に現れる・・・。
普通ならば悲鳴をあげてしまう程の恐怖でしかない筈の出来事が今の自分には怖いどころか感謝の気持ちさえ湧いてきてしまっていたのだから。
しかも目の前に現れた死者たちは顔は確かに知っていたがお世辞にも親しかった
とは言えない関係の人ばかり。
やっぱりこの世よりもあの世の方が優しい人が多いっていう事なのかな?
そんな事を考えながらしばらく歩いているとまた背後から呼び止められた。
優ちゃん・・・・。
それは亡くなった祖父母が彼女を呼ぶ時にいつも使っていた呼び方だった。
ハッとして振り返った彼女のすぐ近くに祖父母は立っていた。
祖母は
怖くないのかい?
そんな言葉をかけてきた。
怖いはず、ないよ・・・。
そう返すと祖父母は彼女に近づいてきた。
そして彼女の頭を撫でながら
 
辛い事が沢山あったんだね・・・。
全部知ってるよ・・・。
でも、優ちゃんはまだ此処に来ちゃダメ!
優ちゃんがいるべき場所はこの先には無いんだよ。
お願いだからすぐに引き返してちょうだい・・・。
今ならまだ間に合うんだよ・・・。
 
優しい声でそう諭すように声を掛けてくれた。
祖父母には幼い頃、本当に可愛がってもらった。
それこそ眼に入れても痛くないかのように。
死んだ人間の体は体温が無く冷たいのだと勝手に思い込んでいたがその時の祖父母の体は昔のまま、とても温かく感じられた。
彼女はそれでも自分の意志を曲げるつもりは無かった。
 
本当にごめんね・・・でも私行かなくちゃいけないの・・・。
早くあの世に行ってお父さんやお母さんに謝らなきゃ!
そして今度こそしっかりと親孝行しなくちゃ!
あの世ならずっと一緒に居られるんだもの・・・。
だから私があっちに行ったらまた会おうね・・・。
おじいちゃんやおばあちゃんにも今度は恩返しもしたいから・・・。
 
彼女は涙ながらにそう呟いた。
しかし、それを聞いた祖父母は首を横に振りながら
 
この先にそんなものは無いんだよ・・・。
在るのは何も無い恐ろしい世界・・・。
優ちゃんは誰にも会えないんだよ?
とても悲しくて寂しい場所なんだよ?
だからすぐに引き返しておくれ!
此処には悪いモノが沢山いるんだ・・・。
でも、今ならまだ間に合う・・・。
お願いだから・・・。
 
そう返されたという。
どういう事なの?
彼女はそう思った。
この森の奥は死者の世界に繋がっているんじゃないの?
其処には両親も祖父母もいるんじゃないの?
そんな事を考えていた時、突然前方から彼女の名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声は間違いなく両親の声だった。
慌てて振り返ると其処には確かに両親が並んで立っていた。
満面の笑みを浮かべて・・・。
 
ようこそ・・・いらっしゃい。
ずっと待ってたんだよ・・・。
ほら、もうすぐだよ・・・。
此処からは私達が案内してあげるから安心しなさい・・・。
 
そう声を掛けてきた。
どこか言葉の使い方やイントネーションが両親とは違う感じがした。
しかし、そんな事はどうでも良かった。
 
ほら・・・お父さんとお母さんも迎えに来てくれたよ・・・。
此処からはおじいちゃんもおばあちゃんも一緒行こうよ!
 
そう言って祖父母の方を振り返ると祖父母の顔は何かに怯えた様に凍り付いており
スーッと消えていったそうだ。
 
おじいちゃんもおばあちゃんもあっちの方で待ってるよ・・・。
ほら、急ごう・・・・。
 
そう言って彼女の背中を強引に押してくる両親。
何か釈然としない気持ちだったがそれでももうすぐだという言葉に促される様にして
彼女はまた歩き出した。
 
そこからどれくらいの時間歩き続けただろう・・・。
案外遠いんだね?
彼女がそう声を掛けるが両親は無言のまま歩き続けていた。
すると、突然両親が前方を指さした。
指差した方を見ると、前方にはそれまでずっと続いていた薄っすらと白い光の道が
突然途切れ、ただの闇だけが広がっている場所が在った。
 
えっ?・・・あの場所に行けばいいの?
あの場所があの世の入り口なの?
 
そう思いそのまま歩いていると突然、斜め前方から何かが此方へ突進してくるのが
わかった。
何?・・・何なの?
そう思ってそれらを見ると、二人の男女が彼女の背後を歩いている両親に向かって
突っ込んでいった。
顔も体もぐちゃぐちゃになった男女が・・・。
 
早く逃げなさい!
此処はあんたが来る場所じゃない!
今すぐ全力で此処から戻りなさい!
これがもう最後のチャンスなの!
お願い!・・・・お願いだから!
そう叫びながら。
 
最初はそれが誰なのか分からなかった。
しかし、その声も話し方も間違いなく両親のそれだった。
えっ、何?
どうなってるの?
そう思いながらその場で呆然としていると今度は空に大きな声で
 
長くはもたないから!
お願い早く走りなさい!
そして、もう二度とこんな所に入って来ちゃダメ!
そんな声が聞こえてもその場に立ち尽くしていると今度は絶叫とも取れる声で
 
馬鹿野郎!
さっさと走り出さんか~!
 
と聞こえ思わず体がビクッとなった。
そして、それと同時に無意識に体が反転し一気にその場から走り出した。
それこそ全力で!
何処まで息が続くか分からなかったが倒れるまで走ろうと思った。
もしも体力が尽きて動けなくなってもそれが自分の運命なのだ、と。
しかし、何処まで走っても何故か走り続けることが出来た。
日頃から運動もしていなかったし、どちらかといえば運動音痴だと思っていた彼女は
自分の想定外の体力に誰よりも驚いていた。
途中に一度背後を振り返った。
すると、自分が走っている薄っすらと白い光の道がどんどん消えていくのが見えた。
あの光に追い越されたらもう走れなくなる・・・。
そう思い彼女は死に物狂いで走り続けた。
そうして何とか神社の境内へと逃げ込んだ彼女が森の方を振り返ると、其処には
沢山の人達がニッコリと笑って立っていた。
そして、その中には先程助けてくれた男女の姿があった。
相変わらず顔も体もぐちゃぐちゃの状態だったがその時の彼女にはそれが本当の
両親なのだと確信できた。
あんな姿になりながらも私を助けてくれた・・・。
そう考えるとまた涙が止まらなくなった。
何度もそれらの人達に泣きながらお辞儀を繰り返していると彼女の頭の中に両親の声が
聞こえてきた。
 
ちゃんと幸せになりなさい・・・。
あんたはあんたなんだから・・・。
背伸びせず自分なりの幸せを見つけなさい・・・。
まだどれだけでもやり直せるんだから・・・。
ずっと見てるからね・・・・と。
 
それからトボトボと実家の家に戻った彼女は1人で夜通し泣いた。
あれだけの人が、そして両親や祖父母が自分なんかを助ける為に出てきてくれた。
自分はどれだけ幸せ者なんだろう・・・と。
 
そして、彼女は現在幸せに暮らしている。
東京ではなく実家に戻って。
結婚し一人娘も生まれ彼女なりの幸せの中で生きている。
 
東京で、いや都会じゃなければ幸せになれないなんて馬鹿な考えでした。
何処に住んでたって幸せになれる。
確かに幸せの形は違うかもしれませんけど、私は今幸せです!
それに両親や祖母にもずっと見られてると思うともっともっと幸せにならなきゃ!
そう思ってます。
 
現在では公務員の夫と結婚しパートをしながら両親が守ってきた田畑で自給自足の
生活を目指し農作業にも力を入れているという彼女は、本当の意味での幸せを
しっかり見つけられたのかもしれない。
幸せなんて人それぞれ価値観が違うのだからその形は無限に存在する。
悲しみや苦しみがやって来ても耐えられるだけの大切な何かを持っている事が
本当の幸せなのかもしれない。
そして、それは護るものがあり、護られているという実感を感じられた時に
初めて気付けるものなのかもしれない。
 
そして最後に・・・。
彼女が最後にその森で遭遇した両親の姿をしたモノは一体何だったのか?
明らかに森の奥へと連れて行こうとしていたのだから・・・。
その森の奥は本当にあの世に繋がっていたのだろうか?
それは俺には分かりようも無いが、其処はきっとあの世ではない様な気がする。
そして、その森の様な場所は日本中どこにでも存在している気がしてならないのだ。
その森は今でも彼女が住む町の外れに実在している。
そしてあなたの近くにも・・・。
 
 

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