オリジナル・カクテル※創作

いつもの様に木製の引き戸を開けると其処にはいつもの時間が広がっていた。
薄暗いくらいの店内に流れるセンスの良いコンテンポラリージャズ。
そして、外の世界とは隔絶された暖かい空気の流れ。
笑顔も見せずグラスを拭きながらぶっきらぼうに会釈してくるだけのマスター。
普通の客ならば怒り出すのかもしれない。
しかし、俺にはこんな対応で良いのだ。
極上ではないが俺が愛する時間が此処には確かに存在している。
俺はいつものようにカウンター席の一番左端の席へと腰かける。
本来ならばマスターから「こちらの席で!」と声をかけられてから座るのがマナー
なのは百も承知しているが、これだけ店に通いいつも同じ席に座っているのだから
その辺は阿吽の呼吸とでもいうのだろうか。
とにかくそういう部分も俺にとっては心地良い要素の1つなのだから。
カウンター席に座った俺は「マスター、いつもの・・・」とだけ言って煙草に火を点ける。
目の前に広がる大きな1枚板のカウンターは見ているだけでも心が癒される。
煙草の煙を大きく吸い込んでからゆっくりと虚空へと吐き出す。
そうして目の前の棚に並んでいるバーボンの瓶を眺めているとマスターが目の前に
出来上がったロックグラスを差し出してくる。
ありがとう・・・
それだけ言ってグラスを口に運び、ブッカーズのロックを口の中に含む。
クラフトバーボンの豊潤な香りが口の中を満たしていく。
やはり最初の一杯は格別だ。
疲れも嫌な事も全て洗い流してくれる。
だからこそバーで飲むのは止められない。
それにしても、どうなってるんだ?
今夜はバレンタインデーだっていうのにこの店には客は俺一人じゃないか。
カップルカップルが寄り付かなくなったらバーもお終いだぞ。
まあ、俺としてはいつもこんな風に1人で飲める方がありがたいのは間違いないが。
そんな事を思いながらマスターにこんな事を言ってみる。
あのさ、今までにカップルに頼まれて作ったカクテルってあるのかな?
ほら、よくあるじゃん、今日の彼女のイメージでオリジナルのカクテルを作って欲しい、
とかいうやつがさ・・・。
そういうのを飲んでみたいんだけど覚えてるオリジナルカクテルってあるの?と。
すると、無口なマスターはいつものように何も喋らずただ頷いてカクテルを作り出す。
なぜかとてつもない数のボトルを取り出してきてマスターはシェーカーにそれらを注ぎ入れていく。
そして、とてつもなく長い時間が掛かってようやく出来上がったカクテルが俺の目の前へ
置かれた。
なんだ・・・これは?
俺も色んなカクテルを飲んできたが真っ黒な部分と赤い部分が上下に分かれているカクテルを見たのは初めてだった。
なんか美味しそうには見えないけどな・・・。
本当にこんなのをカップルに頼まれて作っちゃったの?
そのカップル、怒ってなかった?
俺がそう聞くとマスターはその日初めて口を開いた。
そのカップルはその日が最後の夜だったみたいでしたね。
つまり別れる前に最後に飲みに来たんですよ。
だから、そのカクテルを作らせて頂きました。
お2人ともに・・・。
とても喜んでいらっしゃいましたよ?
今の気持ちにピッタリだと仰って・・・。
それだけ言うとまた口を噤むマスター。
俺は無意識にため息をついてからグラスに手を伸ばす。
するとすかさずマスターが声を掛けてきた。
それは眼で楽しんでから横に添えたスプーンでよく混ぜてお召し上がりください。
そうしないとそのカクテルの本当の味が分からないと思いますから・・・。
そう言われた俺は、グラスをまじまじと見つめてからスプーンでグラスの中のカクテルを混ぜる。
えっ?
俺は思わず小さな声をだした。
グラスの中には血が入っている様にしか見えなかった。
しかも、時間が経過してどす黒く変色した血の色。
そして、きっとゼリーでも混ぜてあるのだろう。
グラスの中のカクテルはその粘度といい色合いといい、まさにどす黒い血が注がれた
様にしか見えなかった。
あのさ・・・これ、飲まなきゃ駄目だよね?
俺がそう聞くとマスターは
うちは1つのご注文されたお酒を飲み干さないと次のお酒は出さないというシステムなのはご存じですよね?
それを飲まなくても構いませんが、そうすると今夜はこの店では一滴も酒を飲めないという事になりますがそれで宜しいですか?
こういう時のマスターは本当に厄介だ。
きっと何か嫌な出来事でもあったのだろう。
いつもなら、決してこんな意地悪い事はしないはずなのだが。
いや、まあ、確かにどんな常連客に対しても、同時に二つのグラスは出さないというのが
この店のモットーである事には間違いないのだが・・・。
俺は仕方なくグラスを持ち上げてそのカクテルを一気に飲み干そうと口に近づける。
すると、突然、俺のすぐ横から女性の声が聞こえた。
それを飲んじゃ駄目だよ・・・。
死んじゃうから・・・。
その声を聞き、ハッとして横を見た俺の隣には見知らぬ女性が座っていた。
年齢は30歳くらいだろうか。
とても綺麗な女性ではあるが店の暗い照明のせいもあってかとても暗い印象を持った。
何か全身から力が抜けている様な頼りない感じ、とでも言えば分かりやすいのかもしれない。
えっと、お会いしたの初めてですよね?
死んじゃうっていうのは物騒な話ですよね?
そう聞くとその女性は小さく頷いてから
でも、死んじゃうっていうのは本当だよ・・・。
そう言って俺の前に置かれたグラスを一気に飲み干した。
ほら・・・私みたいに・・・。
そう言った次の瞬間、隣に座った女性の顔がまるで粘土細工が溶けていくかのように
崩れだした。
その様子をスローモーションの様に見せつけられた後、
コンナカンジ・・・ホラネ・・・ウソジャナイデショ?
と言いながらその女性はゆっくりと消えていった。
俺の心臓は早鐘の様に鳴っていたし冷汗が止まらなくなっていた。
しかし、マスターにそれを悟られる訳にはいかない。
それが俺の美学なのだから。
俺はおもむろにマスターに聞いた。
出来るだけゆっくりと声が震えないように・・・。
あのさ・・・このカクテルに毒なんか入ってないよね?
そう聞くとマスターは大きく首を横に振った。
そして、俺はすぐに次の問いかけをする。
もしかして、このカクテルを飲んだカップルってその後どうなったの?
もしかして死んでるんじゃないの?
ビルから飛び降りたりしてさ?
そう聞くとマスターは意外にも首を横に振った。
そして、こう続けた。
ビルからの飛び降りではなく電車に飛び込んだそうです・・・。
俺はグラスを出来るだけ遠い場所に置いてマスターにこう尋ねた。
あのさ・・・ちなみにこのカクテル・・・なんていう名前なの?
すると、マスターは少し笑いながら
ラブ・ユー・トゥ・デス(Love you to death)と名付けてます・・・。
と俺に言いきった。
ご馳走様・・・でももうこんなカクテルは絶対に出しちゃダメだよ・・・。
それだけ言うと俺はその店を後にした。
それ以後、その店には一度も立ち寄ってはいない。
Love you to death
殺したい程愛してる・・・・か。
人の思いと劣悪な酒、そして最悪な名前・・・。
それらが揃えば酒は人さえも殺してしまうのか・・・。
それから俺はカクテルというものを飲まなくなった。
少なくともオリジナルカクテルだけは絶対に・・・。
 
 
 

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