介護

山下さんは現在60代。
大学を出てからずっと公務員として働き続け定年退職後は町会の仕事に従事している。
公務員時代にはそれほど出世もしなかったし同期と比べても決して給与は高いとは言えなかったが、それでも安定した生活をして来られたのは市民の皆さんのお陰だと感謝し何か恩返しがしたかったのだという。
そして、数年前に奥さんを病気で亡くしている彼にとって時間を有効に使えるとしたら町会の仕事以外に思いつかなかった。
そして彼が担当しているのは清掃関係全般。
勿論、そこまでの仕事を要求されてはいないらしいのだが、彼は毎朝早くからごみの収集場に誰よりも早く行き大きなごみ入れ用のカゴを設置したりごみ用のネットを引っ張り出してきたりと大忙しの様だ。
そして、彼が全ての準備を整えた頃にようやくその日のごみ当番が2名ほどやって来て一緒にごみ出しの監視をする。
しかも彼は町会内の全てのごみ収集場を管理する立場にある事から1年中休みも無く朝早くからごみ収集場を回るというのだから本当に頭が下がる思いだ。
そして、これから書くのは昨年の年末に彼が体験したというとても不思議な話になる。
その日も朝5時に起きて準備をし彼はいつも通りごみの収集場へ向かった。
そして、1人でごみ出しの準備をしていた彼は少し離れた場所から彼の様子を窺っている40代くらいの女性に気付いた。
おはようございます!
彼はそう挨拶したがその女性は小さく会釈するだけだった。
えっと、ごみ当番の方ですか?
お早いですね!
と声を掛けても何の反応も無い。
変な人だな・・・・。
そう思い再び準備の作業に戻るとしばらくしてごみ当番だという2人の女性がやって来た。
彼は思った。
あの女の人、ごみ当番の方じゃなかったんだ・・・。
だとしたらこんな早朝から寒さの中、いったい何をしに来たんだろうか?ね、と。
しかし、忙しさに追われてそれ以後はその女性の事を気にかけている余裕も無かった。
そして、気が付いた時には既にその場から女性の姿が消えており彼ととても不思議な気持ちになったという。
そして、それから毎朝、その女性の姿を見かけるようになった。
いつも彼よりも早くごみの収集場にやって来ている様になった。
そんな日が何日も続いた後、彼は不思議な事に気付いた。
その頃はもう12月になっており彼も含めごみ出し当番の方は皆、かなりの厚着をしてきていた。
いや、それだけ厚着をしていてもずっとその場所に立っているだけで体が芯から冷えていく様な辛さを感じた。
それなのに、その女性はごく普通の洋服だけを着ている。
寒くないのか?
一体どんな身体構造をしているんだ?
と、思うばかりだった
それでも女性は平気な顔でその場にいた。
最初は少し離れた場所から此方を窺っているだけだったがやがては誰かがごみを持ってくる度に置いていったごみ袋の中の品定めをするかのように覗き込むようになっていった。
何か得体のしれない気持ち悪さはあったが、それでも昨今ちょっとした事から傷害事件に発展したというニュースもちらほらと耳にするようになっていた彼は、その女性に何かを尋ねたり注意するという事もしなかった。
出来るだけ干渉しないようにしよう・・・。
そう思っていた。
しかし事態はある日急変した。
いつもの様に彼がごみ出しの監視を行っていると背後から声を掛けられた。
ハッとして振り返るといつもの女性が立っていた。
すみません・・・あの毛布貰ってもいいですか?
予想外の言葉に彼は一瞬思考が停止した。
しかしすぐに我に返ると
あれはごみとして出された物ですよ?
だから基本的には持ち帰ることは出来ませんよ・・・。
でも、あの毛布を持ち帰ってどうされるんですか?
と尋ねたという。
するとその女性は聞き取りにくいほど小さな声で
うちは貧乏で・・・。
凍えてしまいそうなんです・・・。
待ってるんです・・・。
だから・・・。
と返してきたという。
彼は常に規則を厳守する事を最優先していた。
しかし、「貧乏」「凍える」「待っている」という予想外の言葉を聞いてしまうとさすがに気持ちが揺らいだ。
もしかして、この女性は本当に貧乏で暖房器具も無く子供さんが家で凍えそうになっているのではないか?
だとしたら、規則を守って「ダメです!」と言うのが本当に正しい事なのだろうか?と。
そう思い直した彼はその場に捨てられていた毛布を手に取るとその女性へと手渡してあげた。
女性は何度も何度もお辞儀をするとその場から立ち去って行った。
それから彼はその女性の事を自分なりに調べたという。
しかし町会中の知り合いに聞いても何もわからなかったという。
それからしばらくはその女性は現れなかった。
もしかしてあの毛布が役に立ってくれていると良いんだが・・・。
彼はそう考えていた。
しかし、それからしばらくしてその女性は再びごみ収集場に現れた。
おはようございます!
と声を掛けると何度も何度もお辞儀をされた。
しかし、その日は燃えるゴミの日・・・。
その女性は一体何をしにきたのか?
そんな事を考えていると、また背後からその女性が声を掛けてきた。
あの・・・すみませんがあの袋に入っているパンとかご飯とか食べられそうなものを持って帰ってはいけませんか?と。
その言葉を聞いた彼は
いや、さすがにそれは・・・。
ごみに出してる、って事は賞味期限も切れてるでしょうし、もしかしたらもう腐ってるかもしれません。
あんなものをお渡しする事はさすがに出来ません・・・。
そう返すしかなかった。
その女性はまたお辞儀をしてその場から立ち去って行った。
彼はその時の事がずっと頭から離れなかった。
きっとお腹を空かせていたんだろう・・・。
少しくらい賞味期限が切れていたとしても食べられそうな食品を見繕ってあげた方が良かったんじゃないのか?と。
そして、彼は次の燃えるゴミの日にある物を準備した。
それは家にあった賞味期限切れが近い食品とスーパーの安売りで買ってきた総菜パン。
そして、その朝のごみ収集場に行くと既にその女性はその場にいた。
彼は女性に近寄るとそれらの入った袋を渡し、
これで良かったら食べてください・・・。
という言葉をかけた。
すると、またその女性は何度も何度もお辞儀をしてその場から立ち去って行った。
そして、そんな事が何度も続いた。
特に彼にとって負担になっていたわけではなかったが、もっと根本的に救済できる方法があるのではないか?
そう思ったという。
いつもの様にその女性に食べ物を渡すとその女性は何度もお辞儀をしてその場から立ち去った。
そして、彼はと言えば少し距離を置いてその女性の後をつけた。
女性が住んでいる家を確認し役所に何らかの対応をしてもらう為に。
すると、その女性は商業ビルが何軒か建ち並んでいる道からビルの間にあるスペースへと入っていくのが見えたという。
彼は急いで女性の後を追った。
お世辞にもキレイとは言えない古く汚い雑居ビルの間にできた空間。
その空間にその女性ともう一人の横たわる人間がいた。
彼は思わず
えっ、あの・・・これって?
と声を掛けた。
するとその二人は彼の方を見るとスーッと消えていった。
まるで蜃気楼の様に・・・。
その後、その女性が現れることはなくなった。
しかし、彼は今でもその女性の事を心配しているのだという。
あんな所にいたのなら僕がどれだけ探しても見つかる筈は無かったんです。
それにその後、確信したのはやはりその女性も、そしてもう一人も生きていらっしゃる方ではなかったという事。
ごみ当番の方に聞いても私以外は誰一人としてあの女性の姿は見ていないんですから。
結局その日以来、あの女性は来なくなってしまったんです。
私が何かをしてあげた事で成仏できたのなら嬉しいんですけどその判断もつかなくて・・・。
そして、もう一つ驚いたんですけどね。
あの女性は家で待っている子供の為に布団や食料を持って行ってるんだと勝手に思い込んでたんですけどあのビルの谷間で私が視たのはその女性ともっと高齢の女性の姿だったんですよね。
幽霊の世界でも介護の高齢化が進んでいるんですかね?と。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?