最後のご乗車

沢木さんは現在、夜の繁華街で働いている。
昼間は事務店として働いているがそれだけではどうしても生活が維持できないのだという。
勿論、毎日という訳ではなく彼女が夜の仕事をしているのは週末の金曜と土曜の夜だけ。
会社には内緒のバイトという事で知り合いのスナックで補助的な仕事をしているそうなのだが、それでもお店が終わるのは早くても午前1時を回ってしまう。
だから以前はお店のママさんからタクシー代をもらって帰宅していた様なのだが最近では終電や終バスが動いているうちに帰路に就くか、徒歩で帰る様にしている。
徒歩で帰宅するとなればどんなに速足で歩いたとしても小一時間は掛かってしまうし夜道の一人歩きなど本当はしたくはない。
それでも彼女は絶対にタクシーで帰宅する事だけは絶対にしたくないのだという。
そして、彼女がそんな風に思うようになったのはこんな出来事があったからだ。
その夜、彼女はついお客さんのカラオケで盛り上がってしまい気が付いた時には時刻は既に午前2時を回っていた。
早く帰宅しなければ、と思い彼女は慌てて帰り支度をして外に出た。
するとちょうど1台のタクシーが走って來るのを見つけ彼女はすぐに手を挙げてタクシーを停めると車内へ乗り込んだ。
後部座席に乗り込むと安心感から彼女はついウトウトしてしまう。
するとタクシーのドライバーが眠りを妨げる様に話しかけてきた。
お客さん、すみません・・・眠らないでいただけると助かります・・・と。
彼女はハッとして
あっ、ごめんなさい。眠っちゃうと起こさなくちゃいけないですもんね、と返した。
するとそのドライバーは恥ずかしそうな口調で
いいえ、そういう意味ではないんです。
タクシードライバーがこんな事言うのも変なんですけど、やっぱり深夜の道っていうのは
1人で黙って運転しているとなんか怖くなっちゃって・・・。
それにお客さんが告げられた目的地というのが私にとっては鬼門なんですよ。
今まで色々と変なモノを視ちゃって・・・・。
それに過去には一度後部座席に乗せた筈のお客さんが忽然と消えてしまった事も
ありましたから・・・。
だから、まあ無理にとは言いませんが、何も話さなくても結構ですから後部座席で
起きていてくれるだけでもすごく安心できるんですよ。
と返してきた。
彼女も怖い話が嫌いなわけではなかったらしく、それからは過去にそのドライバーさんが
どんな恐怖体験をしてきたのか?を聞かせてもらいながら後部座席に座っていた。
それからどれくらいの時間、そのドライバーさんと話し込んでいただろうか。
それは彼女が降りるはずの場所から車で2分と掛からない場所に在る交差点に
差し掛かった時の出来事だった。
それまで自分の恐怖体験を面白おかしく語ってくれていたそのドライバーが急に
口を閉ざした。
そして、次には
ヒッ・・・。
という小さな悲鳴を漏らした。
そして、ドライバーは彼女に向かって
本当にすみません。
ご指定の場所では降ろせなくなりました・・・。
そう言ったきりハンドルをしっかりと握り直すとタクシーのスピードを上げた。
そして、その言葉通り、彼女が降りる筈だった場所を通り越してタクシーは走り続けた。
右に曲がったり左に曲がったり、細い道にわざと入ったり速度を更に上げたり、と。
それはまるで何かから必死に逃げている様にしか見えなかったという。
そして、そのドライバーは
やっぱりもう駄目だ。
クソクソクソ!
と繰り返したかと思うと突然タクシーを路肩に寄せて停止させた。
そして、後部座席を開き、
すみません・・・貴女を追いかけては来ないと思うんですが念の為にあの神社の中に
逃げ込んでください。
何か嫌な気配を感じたら朝が来るまで絶対に神社の境内から出ないでください。
これは冗談で言ってるんじゃなくて本気で言ってます。
乗車賃は必要ありませんから。
どうかご無事で・・・。
最後の御乗車、ありがとうございました。
そう言うとタクシーから降りた彼女を確認すると同時に再びタイヤを鳴らしてその場から
発進した。
彼女は何が何だか訳が分からなかったそうだが、その場所から自分の家まではかなりの距離があり、しかも今ほどドライバーが言った言葉がとても気になってしまったらしく
言われた通りに目の前に在る神社の境内へと駆け込んだ。
すると、その瞬間、神社の外からは生臭い様な獣臭が漂ってきて息が苦しくなった。
それでも、そのままじっとしていると
チッ・・・・という声とともに何かが離れていく様な気配がしその獣臭も少しずつ
和らいでいった。
それでも、何かを感じたのだろう。
彼女は朝が来るまでじっとしたまま神社の境内から外へ出る事はしなかった。
その間、何かがぶつかった様な衝撃音と悲鳴のような声が聞こえたが彼女はそれにも
じっと耐え抜いたという。
朝になって自宅へ帰った彼女は昼頃の地方ニュースでその晩タクシーが橋の欄干に
激突し炎上、爆発した事を知った。
ニュース映像に映ったタクシーの映像や、事故が起きた時間帯から考えると、それは
昨夜、自分が乗っていたタクシーに違いないと確信したそうだ。
そして、そのタクシードライバーが死亡した事を知った彼女は、もしかしたら、いや
間違いなくあのタクシードライバーは私を護るためにわざとあんな場所で降ろしてくれたに違いないと思い、両手を合わせてドライバーの冥福を祈った。
しかし、よく考えてみると、あのタクシードライバーは彼女の自宅マすぐ側を通りかかってから態度が急変し何かから逃げ始めた。
だとしたら、自分が住んでいる近くの交差点には何か危険極まりないモノがいるとしか
思えなかった。
それからは可能な限り早い時刻に帰るようにし、タクシーは使わずその交差点を通らない
遠回りのルートのバスをわざわざ利用して帰る様にしているという事である。
 
 

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