死に顔

樫田さんは高校を卒業するまでは東北のとある田舎町で育った。
山と海に囲まれた自然豊かな街。
そんな彼が小学校の低学年の頃に悲しくも不思議な出来事があった。
その頃彼は小学2年生だったが、クラスの中に1人だけランドセルを持っていない
女の子がいた。
家が貧乏という事でその女の子だけは手提げ袋に教科書を詰めて登校しており
心無いいじめっ子達からはイジメの対象にされる事もあった。
その女の子自身も自分一人だけがランドセルを持っていない事がいつも悲しくそして
恥ずかしい事だと感じていた様で、どれだけイジメられても決して親や先生に
報告することもしなかったそうだ。
そんなある日、ずっと降り続いていた大雨のせいで道路が土砂で埋まるという
事故が発生した。
しかも、よくよく調べてみると土砂の中には1台の軽トラックが巻き込まれている
事も判明した。
それは、彼のクラスで唯一ランドセルを持っていない女の子の証言によるものだった。
おじいちゃんが巻き込まれたの!
早く助けてあげて!
女の子は悲痛な叫びを上げ続けた。
しかし、雨は更に強く降り続いており二次災害を避けるためにはそのまま救助を
続ける事は不可能だった。
全員がその場から避難し再び救助作業が再開されたのは最初の土砂崩れが発生してから
2日後の事だった。
しかも、救助が再開されるまでに予想通り2度の土砂崩れが再発し現場の道路は
完全に土砂で埋め尽くされ救助のための重機が辿り着くのにさえ相当の時間を
要した。
警察や消防で何度も人の生き死にに対峙してきた者ならばきっと理解してもらえる
のかもしれないが、生き埋めになった遺体ほど直視できないものは無いのだという。
しかも生き埋めになってからの時間が長ければ長い程、被害者の状態は悪化し
とても人間とは思えない形相で掘り出される事になる。
外界から完全に遮断され、いつまで待っても来ない救助の手。
そしてゆっくりと薄くなっていく空気の中で最後には呼吸不全により死亡する。
その恐怖と苦しみは到底計り知れるものではない。
だから、そうやって亡くなった遺体はとにかく凄まじい形相のまま顔が固まっている。
この世の中に妖怪や魔物が存在しているとしたらきっとそんな顔なのだろうと
思ってしまう程に。
結局、その女の子のおじいさんか乗った軽トラックを土砂の中から引き出すのに
まる2日掛かってしまった。
そして軽トラックの車内からは女の子の言っていた通り、おじいさんの遺体が発見
されたが、その顔を見てその場にいた皆が驚いた。
おじいさんの遺体は薄っすらと穏やかな笑みを浮かべた穏やかな死に顔だった。
そして、おじいさんは簡素なビニール袋に入れられた真っ赤なランドセルをしっかりと
抱きかかえ護る様な姿勢で絶命していた。
その後、警察による検死と共に色んな事実が明るみになっていった。
女の子はおじいさんが土砂崩れに巻き込まれる少し前まで一緒に行動していた。
おじいさんが何とかお金を工面して孫である女の子にランドセルを買ってあげようと
お店を回ったのだという。
それでもおじいさんの手持ちのお金で買えるランドセルはなかなか見つけられず、
それでもようやくその町で一番安いランドセルを買う事が出来た。
おじいさんはライドセルを買ってもらい大はしゃぎしている孫の姿をしばらく
見つめていた後、途中で女の子を車から降ろし1人で何処かへ向かって走り去った。
その後、女の子の脳裏におじいさんが土砂崩れに巻き込まれる瞬間がはっきりと
映り、慌てて母親にそれを告げたのだという。
女の子の言葉を信じた母親と、その言葉を信じた警察や消防、そして地域の青年団、
その誰もが称賛に値するが、やはり最も凄いのは土砂崩れで亡くなったおじいさん
ではないだろうか?
孫の為に苦労してお金を集め、何とかランドセルを買ってあげた事も凄いが、
その直後、土砂崩れに巻き込まれながらも苦しみと恐怖よりも孫への愛情だけを
抱きながら満足して一人きりで死んでいったのだから。
ちなみに、亡くなったおじいさんの手の中には嬉しそうに笑っている孫である
女の子の幼い頃の写真も両手で護る様にして包まれていたそうだ。
きっとおじいさんは最後まで大切な孫の写真とランドセルを護りきることが出来た
という満足感の中で死んでいったのだろう。
そうでなければ、そんな状況の中で穏やかな笑顔を纏えるはずなど無いのだから。
女の子はおじいさんの死を悲しみ、ランドセルを無理して買ってもらった事を悔いて
ずっと泣き続けた。
しかし、その後、女の子の夢の中におじいさんが出てきてこう言ったそうだ。
じいちゃんはお前にランドセルを買ってあげる事だけが生き甲斐だったんだ。
だから自分を責めないでおくれ。
それにじいちゃんはいつだってお前に一緒にいられるんだ。
お前があのランドセルを大切に持っていてくれる限り・・・と。
そんな事があってから、女の子は以前とは見違える様に強くなった。
安っぽいランドセルを馬鹿にしていじめてくる輩もいたが、女の子はいつも
そのランドセルを護る様にして相手に立ち向かった。
勿論、その経緯を知っている者たちは決して女の子のランドセルを馬鹿にする
事も無かったし、逆に女の子を護ろうとする友達も増えていったそうだ。
そして、不思議な事にどんなに災害が起こっても事故や事件が頻発しても、さらに
どんなにウイルス性の病気が流行ってもその女の子だけはまるで何かから守護されているかのように1人だけ元気なままだった。
その女の子も今ではその土地を離れ都会に移り住んでいるが社会人になった今でも
そのランドセルだけは宝物の様にずっと傍に置いているそうだ。
悲しく不思議な出来事ではあるが、人間は長く生きる為に生きているのではないと
俺は思っている。
誰かの為に何かをしてあげる事が出来たとしたら、それは十分に立派な人生であり
生きた証になるのではないか・・・と。
そして、俺もそんな生き方をして死んでいけたらとどんなに幸せだろう・・・。
ついそんな事を考えてしまった話しだった。

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