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吾妻流の剣について

祖母は剣が達者だったらしい。

なんで(らしい)なのかと言うと
一言半句たりとも自分では「剣が出来る」とは言わなかったから。

常々「兄ちゃんよう、剣者ってえのは本当に凄えもんだぜ。あたしなんかは出来るなんてうちには入らねえんだ。こんなのは真似事だよう。」

また「お前のお爺ちゃんの日月流はほ~んと凄かったよう!このあたしが長物で掛かっても、全く相手にならなかった💕ああならないうちは剣が出来ますなんて恥ずかしいから言うもんじゃねえよう。」

…確かに、祖父は三笠宮様に随伴して満州の皇帝陛下にも面会したらしいし、その剣は当時の新聞にも載ったくらいの大変な技前だったらしい。

しかし祖母の晩年、山の師匠である黒岩法印さんにその話をしたところ「とんでもねえぞ。お前のおばあ様の剣や薙刀、手裏剣はそらあ大したものなんだ。餓鬼のお前にはその奥ゆかしさなど解らねえだろう。」と言うこと( ´△`)スンマソン

そう言えば小さな頃、新聞紙を丸めた剣で、祖母にかかっていっては、何とも不思議な感じで斬られたものだった。
百回やって百回同じように切り伏せられるので、何らかの技の存在は感じていたのかもしれない。

あのあと何度か、祖母が大の男をあしらうのを見たことがあったが、確かにフワリと踊るみたいに制してしまうので、キン肉マンや北斗の拳世代の僕は「やらせ」だと思っていたものだ。

祖母が亡くなるまえ、上海の師父の映像を見せたことがある。
やはり流麗な舞のような八卦掌を見ながら嬉しそうに「ああ、兄ちゃんには武道の神様が付いているのかもしれないねえ。この先生なら安心だよう。この人の身ごなしはうちのと殆ど一緒だよう。」

正直僕は「そーかな?」と思った。
確かに一回り離れた祖母と師父の動きには、流動的で留まらない、舞のような美しさと言う共通性がある。
しかし、全く違った技術体系の存在も感じさせるので、やはり半信半疑だった。

しかし、後に僕なりの内功武術の理解が深まり、同時に南里先生や村上先生、そして順心斎師匠と言った明師たちの導きに啓蒙されるに従い、あの時の祖母の言葉は本当だったと気づかされることが増えてきた。

吾妻流の剣は、ただ五法があるにすぎない。(あとは転座抜跳)
もう剣術流派としての体すらなせない貧弱なものだ。

しかしこの身体使いには独特で、強烈なメッセージ性のある内容が盛り込まれている。
一法が万法に通じる、融通性を秘めた勢。
最近は祖母を思い出しながら、もっぱらこの剣と舞をお浚いして楽しんでいる。また悦ばしからずや、なのです✨

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