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「丹田交差」合宿所感(前編)

今回の合宿、実験的だったが、やってみて本当に良かった。

立案した時点で一番大切にしたのは(ハードな)とか(集中して)とかよりも、(楽しい)とか(楽)と言う雰囲気に重点を置くということ。

と言うのも自分の場合、テーマの「丹田交差」を感得した背景には、汗を滝のように流したり、眉間にシワを刻みながら刻苦するような感覚よりも、リラックスした雰囲気の中、心躍る興味津々の時間を仲間と共に重ねていく中で得られた、という印象があったからだ。

もとより「常在戦場」「男子門外に居ては七人の仇が……」と言う時代錯誤でストレスフルな生育環境だったので、祖母の言うように強くありたい、堂々と表を歩きたい……と言う一念で二十代迄突っ走ったのだが、そもそも人間が柔弱に出来ていたのだろう、怖いものなく表を気楽に闊歩出来るようになった時点で、当初の目標はクリアしてしまったように感じ、あっけなく狂気を棄ててしまった。

以降は「誰よりも強く………」と言うよりは、自然と身体操作自体の可能性と楽しさを意識した稽古を続けることになった。

また同時に、数々の良き師匠との出会いのなかで、人と言うものの持てる限られた時間から「永遠を覗き見る試みのバトン」と、その厳かさを強く感じるようになってきた。

そんな中で出逢った技たちの根底には、いつも「丹田」とか「泰中(中脈)」「中墨」や「規矩」といったテクニカルワードが、私を手招きしていた。そしてそれは知るほど、深まるほどに滋味溢れる豊かな世界を開示してくれた。

それをなんとか皆とシェアしたい………そんな想いで「太和躰術協会」を設立したのが十年程前か。
それ以前はひたすら武術を練習するだけの集まりだった。

しかし、太和躰術と言っても別にそのような流派があるわけでもなく、私が感得した豊かさ、愉しさを表す方法として従来の「八卦掌」や「太極拳」をテキストに稽古していた。

しかしこの数年、くしびなるご縁の導きから橘家神道軍伝を伝える師に就いて「大元流胎術」を学び、その全伝継承するを得た。
この「観心、鎮心、たまふり、たましずめ」を体系の根本とする不思議な躰術流派は、私がそれまで探求してきた内容を裏打ちし、さらなる深化に誘ってくれる起爆剤となった。

それまでの「内功武術」と大元流「胎術」が私の中で一致し、奇正相生・丹田交差・陰陽転換と言う概念が現実のものとなってきた。

やはり立志はしてみるものなのだ。(前編ここまで)

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