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鬼と忍者

昔、山中で焚き火を囲みながら師の法印が言った。

「人には(狂)と言うもんがあって、鬼の角っちゅうもんはそれが顕れた姿だ。
俺がこうやって山に入るのも、修験が厳しく行をするのも、その(狂)を自分の肚の中から出さんようにして、逆にそれの力で突き動かされ、その力で行を成し遂げるためだ。
もともとは同じ力だ。
(狂)に飲み込まれると人は道を失って、狐狸天狗の所業となる。
(狂)は人には受け止めきれない。親子であれ、どんな親しい友達であれ、その人の「狂」はその人の持ち分なんだ。
お前にも(狂)はある。お前の(狂)を良く知るべし。」

当時まだ高校生だった私は、余りにも青く、また(狂)といえば漫画「拳児」の李書文のイメージしかなかったので(恥💦)普段は怖いほどに無口な法印の教誨ともつかない言葉に非常に抵抗を覚えたものだ。

しかし確かに、山伏たちが絶壁をよじ登り、極寒の滝に撃たれ、数週間にも及ぶ断食や念誦三昧は、平地の民からすれば所謂「もの狂い」そのものだ。

いや、それは山伏だけに限らない。
アスリートや冒険家、アルピニスト、命を削ったアーティスト達、はたまた逆境を平気な顔をして過ごす市井の人びとの生活の中にも、その(狂)の働きがありありと見られる。

現在私は縁あって、摩利支尊天を本尊とした儀軌に則った21日(三七日)の断食と修法を行っている。
これは甲陽兵法の或る流儀の本伝が終えた後、最後に修めるべき行だ。

私は自分の腹中に強烈な(狂)が存在するのを感じる。これが今私の原動力となって、日々の生活の中で、この行を活気凛々と行じさせて頂いている。

思えば、鬼の角たるこの力こそ、人をして一見無謀ともみえる挑戦へと駆り立て、未知の荒野を切り拓くパワーの源なのかもしれない。

以前、尊敬する甲賀伴党宗家・川上仁一先生が「21日はまだまだ命に余裕ある修験の行。それ以降(第4週め)から生命に危機を感じる「忍定」の行である。」と仰られた。

三七日を目処にしている私からは想像すら出来ないが、古来忍びの者は、このような経験のなかで自分のなかの(狂)と向き合い、振り絞れる力を全て出しきって向こう側へ超える修行を重ねて来たのだろう。

今まさに、若き忍道家の習志野青龍窟師範が二回目の一ヶ月断食に挑戦中だ。
これこそが「忍定」の行。
無論日々の生業、庶務万端を精力的にこなしながらなのだから、昔日の忍びを彷彿とさせる厳しさと言える。
師範のご満行を心からお祈りいたします。

人は当然ながら出来ることしか出来ない。しかしそれは我々一般人の想像するよりかなり広い範囲に及んでいる。
普通は不可能に思えることを、易々とやってのける所に「忍者」の現代的な価値があるのならば、それは「狂」と向き合い、それを克服する道程なくてはなし得ないのだろう。

連綿と、地下水脈のように今に至り、「忍者」は今や世界の大海に注ぎ込もうとしている。
私見では、今こそ古伝の忍道が息を吹き返すべき最後のチャンスと見ている。

これからの世界の人々の求める「忍者」の姿は如何様か?
やはりサブカルチャーではなく、純正たる日本のカルチャーとしてのそれなのではないだろうか。

私の知る先人たちは皆、正しく自らの(狂)と向き合い、それを昇華させて真技を得てきた。
その連綿たる繋がりを「文化」と捉えるなら、これからの日本の「忍者」の命脈は一人ひとりの修行者が自らの(狂)と向かい合う「忍定」から再生していくのかも知れない。

影に陽に 隠れもなきは 人心 鬼の角をば 肚に納めて

於甲陽茅舎 真田吾妻衆末 伊与久松凬
ニンニンニン忍者の日に勤白す。

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