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珠となる

今日はまるで台風みたいな風雨が止んだかと思えば、雲間から宝珠のような光が差し、束の間の暖気が風を呼び、またたくまに雨になる……と、見上げれば八ヶ岳に掛かる大きな虹の橋🌈
目まぐるしくも美しい一日でした。

最近思うのが、玉、珠、球、霊、魂、多磨……

大元流の理想は、この「たま」になる、と言う一言に尽きるようで、自らが「たま」となれば、他をも「たま」として扱える。
そして玉を以て玉を「詰める」と言うのです。
これを玉之身、と言うらしく、天之御中主尊、高御産霊尊直流の「胎術」なのだとか………💦

これ、殆ど「躰術鎮心之傅口授」と言う江戸中期に書かれた秘伝書に記載される内容なので、そのルーツは二百年はくだらないでしょう。

ああ昔の人は本当に立派なことを、心身を以て表わしたのだなあ、とおもう反面、なんとも中世的で不思議な世界観を感じます。
これは昔の「大元長上」(橘家神道の主掌)に伝わった神代の手振りなのだ、とも言います。昔の人の言った事って、最近のマンガの設定みたいに聞えちゃうのは何故でしょうね✨

しかし、この自他の捉え方は、私の太極拳や八卦掌、形意拳、そして宮川流や甲陽流などの考え方、鍛錬の仕方にも多大な影響を与えてくれました。

自らが「たま」となる程に、昔は手も足も出なかったことが、五十になって不思議と出来るようになりました。これは「太和の気」探求の末に出会ったこの大元流の存在なくしてはあり得ませんでした。本当に求めていたものが、ここに有りました。

この躰術と考え方を授けて下さった正心師には感謝の言葉も見つかりません。奇魂の導きは突如、意外の角度から迅速に現れるもの。日頃の備えが疎かならざれば、きっと宝の珠を掴むことができるのだなあと、身を以て学ばせて頂きました。

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