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里山に生かされて

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2004年に、福島県飯舘村へ、結婚を機に移住してから始まった私の里山暮らし。途中、夫の急逝、東日本大震災による原発事故被災、5年半に渡る、福島市飯野町での避難生活を経て、2016…
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#里山暮らし

里山暮らしはやめられない        田畑に癒されて 後編

田んぼは水の世界 飯舘村では畑だけでなく田んぼもやっていた。彰夫さんが生きているころは、かなり年季の入った中古のトラクターで田起こし、代掻きをして、やはり年季の入った田植え機を使って田植えをし、稲刈りは近所の家に頼んでやってもらっていた。苗は近所で余ったものを頂いて、除草剤を一回だけ撒いていた。それでも草の勢いに負けて1年分も収穫できなかったように思うけれども、自家製のお米は格別だった。 私は2階の窓から眺める田んぼの風景が大好きだった。田んぼは水の世界だということを、実

里山暮らしはやめられない      ブルーベリー万歳!

ウサギに食べられた! 前回も少し書いた、飯舘村からここまではるばる運んで来たブルーベリーの木について書こうと思う。 そもそもは、亡夫彰夫さんが亡くなる2年前の春に、小さなポットに入った10㎝ほどしかないブルーベリーの苗を、いろいろな種類を取り揃えて100本ほど購入したことから始まる。 すぐに大きめのポットに植え替えて1年ほど育てて、大きくなったもの数本を地植えしたところ、あっという間にウサギに新芽を食べられて壊滅状態に。どうしたものかと思案していたところ、テレビのローカルニ

里山暮らしはやめられない       その場所で生きるということ

春が来ると・・・ 春が来ると、私はそわそわと、収穫カゴとハサミを手に家の周辺を歩き回るようになる。最初はフキノトウ、そして、コシアブラ!コシアブラの木の新芽をいただくのだ。 コシアブラの味を覚えたのは飯舘なのだが、その味と香りが堪らなく好きになり、春の大きな楽しみだった。けれども、避難先の家の周辺にはなくて、避難中は食べることができなかった。こちらへ移住して来ても家の周りは薄暗い人工林ばかりだから諦めていたのだけれども・・・ なんと、我が家の南西に広がる金毘羅山の人工林の

里山暮らしはやめられない      薪焚く日々 後編

宝の山 薪暮らしにとって重要なことは、なんといっても薪と焚き付けの確保! 飯地では4月の初めまでは薪ストーブを焚きたいくらい寒い日があるけれども、大抵は3月の中ごろには薪はなくなってしまう。「薪小屋をもうひとつ増やして、もっと積んでおかないとね!」と毎年話しているけれども、なかなか実現しない。 薪になる丸太は、間伐したり伐採したりしたときにご近所から結構いただける。それを軽トラで運んで来て、チェーンソーで薪ストーブに入る長さに玉切りし、ヨキや電動薪割り機で割り、薪小屋に積む