見出し画像

里山暮らしはやめられない      薪焚く日々 後編

宝の山

薪暮らしにとって重要なことは、なんといっても薪と焚き付けの確保!
飯地では4月の初めまでは薪ストーブを焚きたいくらい寒い日があるけれども、大抵は3月の中ごろには薪はなくなってしまう。「薪小屋をもうひとつ増やして、もっと積んでおかないとね!」と毎年話しているけれども、なかなか実現しない。
薪になる丸太は、間伐したり伐採したりしたときにご近所から結構いただける。それを軽トラで運んで来て、チェーンソーで薪ストーブに入る長さに玉切りし、ヨキや電動薪割り機で割り、薪小屋に積むのはパートナーのTさんの仕事。その薪を電動薪割り機で更に小さく割ったり、割り木を作るのは主に私の仕事だ。
薪を薪小屋に積むところまでは夏が終わるころまでに済ませておかなければならない。小さく割ったり割り木を作るのは、その都度やればいいけれども。Tさんが忙しい仕事の合間にやらなければならず、これ以上ストックするのは至難の業なのだ。

ところで我が家は人工的な着火剤や新聞紙などは使わずに、自然のものだけを使ってマッチ一本で点火することを心掛けている。焚き付けには枯れて落ちている杉の葉っぱが最適だ。それを大きな入れ物いっぱい集めるのも私の仕事。我が家の周りには杉林が広がっているから簡単に調達できる。
ただし、落ちてから時間が経って灰色になっているものは油が抜けてしまっているからダメで、落ちて間がない赤茶色のものがいい。
大風が吹いた次の日が拾い時。杉林に分け入ったとき、いっぱい落ちているのを発見すると、小躍りしたくなるくらいうれしい。
私には宝の山に見えるからだ。

ひとりではできなかった

薪の確保といえば思い出すことがある。
亡夫が最期の9日間を飯舘の我が家で過ごしていた時のことだ。1階の居間で介護用ベッドを借りて寝ていたのだが、彼の頭の上には出窓があり、その外には来年用の薪にするための丸太が積んであり、その奥には薪小屋があった。
ある日、移住仲間の友人の一人が積んであった丸太をガンガン一気に割って、薪小屋に積んでくれたのだ。きっと同じように薪暮らしをする友人は、何を手伝えば、私たちが一番助かるのかをわかっていたのだろう。どれほど有難かったかしれない。その様子を聞きながら、亡夫もどれほどうれしかったことだろうと思う。
私はひとりでその後4年間を飯舘村で暮らしたのだが、最初の2年間くらいは友人が割って積んでくれた薪で間に合ったように思う。
その後どうやって薪にする木を調達したのか全く覚えていないのだが、とにかくなんとか調達した木は、ひとりになってから毎年手伝いに来てくれていた、有機農家などに寝泊まりして手伝いをしながら全国を回っていた落合さんと由利ちゃんのカップルが、割って積んでくれた。現在、彼らは結婚して岩手県で暮らしている。
ひとりになってからの飯舘での薪暮らしは、友人たちの支えでなんとか成り立っていたのだ。ありがたいことだったと、あらためて思う。

もう一つ、思い出すことがある。避難先の家は薪風呂、薪ストーブだったのだが、最初のころはそこにストックしてあったものを使っていたけれども、いよいよ足りなくなってきてしまった。どうしようと思っていたある日、近所の家におじいさんが木を伐りに来ていたので、伐った木を下さいと頼むと快く下さった。
その際に、他でも伐ることがあればほしいと伝えたところ、しばらくしてから、軽トラ2、3杯分もの薪用の広葉樹の丸太を運んで来てくださったのだ!でも、私は自分で薪にすることはできない。なんとかできないかと聞いたところ、電動薪割り機を持参して、もう一人のおじいさんとともに薪割りに来て下さったのだ!もちろん、代金は支払ったけれども、どれほど助かったことか!
薪小屋はぎゅーぎゅー詰めになり、その薪がなくなる直前で、私は5年半に渡る避難生活に終止符を打った。2016年の10月のことだった。
実はこの時点で飯地の古屋のリノベーションは完成していなかったのだけれども、完成を待っていたら、また冬を越すための薪をなんとか調達しなければならず、もう、とてもそんな気力は残っていなかったので、何がなんでも冬になる前に移住したのだった。

避難先の家

続けられる限り続けたい

薪風呂は大工の友人にいただいた廃材や、薪ストーブでは使わない細い薪などを利用している。積んである廃材を、足りなくなるとTさんがチェーンソーで伐って使っている。
太陽熱温水器を使っているので、真夏は全く焚く必要がない。春から秋にかけても晴れた日はそのままでも入れるくらいの温度になるので、追い炊きとしてだけ焚けばいい。太陽熱温水器は本当に優れものだと思う。薪風呂との併用はベストマッチだ。
うちの薪風呂は五右衛門風呂形式なので、湯船の真下で火を焚く。寒い中、外で焚口の前に屈み込んで焚くのは大変だけれども、苦労をしても余りあるほど気持ちがいい。
ただ、もう10年も薪風呂を焚いて暮らしているけれども、二人目が入る最後まで良い温度を保つのはなかなか難しい。灯油の給湯器も併用しているのだが、最後は給湯器のお湯を入れなければならないときは、「今日も上手く焚けなかった」とちょっとがっかりする。
薪風呂道はなかなか厳しい。

薪風呂は一度入ったらやめられない気持ち良さだが、毎日焚くのはやはり大変だ。避難先の家がたまたま薪風呂で、灯油の給湯器を設置して併用するようにしたけれども、灯油で追い炊きはできないので、真夏以外は毎日薪を焚かなければならなかった。
不安定な避難生活の日々の中で、ほんとうに大変だったけれども、毎日薪を焚くという行為に支えられていたとも思うのだ。何よりも、ほんとうに気持ちがいい薪風呂に毎日入ることで、どれほど癒されたかわからない。
だから、飯地でも薪風呂にすることは当然のことだった。

歳を取り、薪を確保したり、焚くのが困難になる日が来るかもしれない。
そうなったらそうなったとき考えればいいから、続けられる限りは薪暮らしを続けていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?