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里山に生かされて

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2004年に、福島県飯舘村へ、結婚を機に移住してから始まった私の里山暮らし。途中、夫の急逝、東日本大震災による原発事故被災、5年半に渡る、福島市飯野町での避難生活を経て、2016…
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2022年3月の記事一覧

里山へ至る道            精神病院へ至る道

カルトだったのかもしれない あの団体はいったい何だったのだろうか?今でもときどき思う。 大学を卒業して就職することもなく家に居るようになった私は、日々をどんなふうに過ごしていたのかあまり覚えていないけれども、名古屋三越のできたばかりのケーキ屋さんでバイトをしたり、アルバイトに行っていたことは覚えている。お菓子を自分で作るのも食べるのも好きだったからだ。 三越でのバイトをどうしてやめたのかは覚えがないが、次のバイトを探そうと思って新聞の求人欄を見た。そこで「ケーキを喫茶店に卸

里山へ至る道            高度成長期に生まれ育って

私の原風景 私は1965年(昭和40年)、東京オリンピックの次の年に生まれた。 日本は高度成長期の真っ只中で、どんどん物質的に豊かになっていく、右肩上がりの時代だった。 両親と3人姉妹の5人家族。父は大企業のサラリーマン、母は専業主婦、核家族で社宅に暮らす、あの時代の典型的な地方都市の中流家庭だったと思う。 父が勤めていたガス会社の社宅の4階で小学校3年生まで過ごした。社宅には同じ年頃の子どもたちがたくさん居て、みんなきょうだいのように育ったから楽しかった。社宅の周辺で遊ん