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7 オリヴァー・クロムウェル来襲

アイルランドへの苛烈な報復


1649年清教徒革命によってチャールズ一世は捕らえられ、裁判に掛けられて処刑される。
これによってイギリス国内の内戦は終息し、議会勢力はアイルランドの武力平定に乗り出してくる。

議会派軍の総帥は清教徒革命の指導者オリヴァー・クロムウェル。
アイルランドにおける「新教徒虐殺」への報復と、アイルランド全人口の新教への改宗を求めて、苛烈な攻撃が加えられることとなる。
司祭たちは迫害され、カトリック教会の全組織が数年のうちに徹底的に破壊され尽くした。

当時のヨーロッパにおける最強の軍隊である一万五千の精鋭を率い、民間の女性や子供も容赦なく殺戮し、助命を請う捕虜の命も容赦なく奪い、多くの要塞都市を占領していった。
クロムウェルは報告書にこう記述している。
「これは多くの無実な人々の血でその手を染めた野蛮な恥知らずどもへの、神の正しい裁きであると、私は確信する」


決定的な植民地化の確立

命を奪われずに捕虜とされた者は、西インド諸島や北アメリカの植民地へ奴隷として売られた。
アイルランドの40%もの土地が没収され、それは遠征費を用立ててくれたロンドン商人やプロテスタント系の地主たちに与えられ、彼らの多くが不在地主であった為、一気に植民地化が推し進められることとなる。

アイルランドを土壌の痩せた北西部コノートとそれ以外に切り分ける長大な川、シャノン川というものがある。
クロムウェルはアイルランド人へ「地獄かコノート」という選択肢を突き付け、痩せた貧しい土地へと押し込んだ。
海岸線にはイギリス軍が駐留し、アイルランド人が外国と連絡を取ることのないよう完全に遮断された。

17世紀初めにはカトリックが59%の土地を所有していたが、18世紀には14%と激減してしまう。



ワイルド・ギース


コノート以外の地に暮らすアイルランド人たちは、プロテスタント系地主に使役される小作人へと身を落とすことでしか生きていけなくなった。

そんな弾圧に耐えかねて、大陸へと渡ったアイルランド人たちは傭兵に就く者も多く、「ワイルド・ギース(野生の雁)」として、各国からの需要も大きかったという。
それにちなんだアイリッシュ・ウイスキーも作られている。



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