"善人プレイ"について考える。

ゲームでの「ロールプレイ」の話題になると、十中八九が「悪人プレイ」の話題になる印象。
なので、今回は「善人」でのロールプレイに焦点を当ててみたいと思う。

○意外と廃れない「基本」

ゲーム内の世界観や設定の「歴史」からすると、善悪といった倫理観は当初から存在していたものでは無い。

例えば「ウィザードリィ」。目的上は「邪悪なるワードナを倒す」という一見崇高なものだが、ぶちのめすPTは「悪人」の盗賊や魔法使いでも良かった(厳密にはキャラメイクで「善・悪・中立」の設定ができる)。

同一シリーズであっても善悪の立場が作品毎にガラリと変わることは少なく無い。例えばあのマリオだって、初期の頃は悪役に徹していたタイトルだってある。

ただし、そんな「草莽期」を除くと、「主人公=善」という設定は、ゲームという娯楽の中の「基本」となっていたように思う。

「スーパーマリオ」「ドラゴンクエスト」「ゼルダの伝説」といった今に至るまでの王道シリーズは言うに及ばず。
「挑戦者」として生まれた「ファイナルファンタジー」ですら、シナリオプロットの多くは「暴虐を成す強大な国・組織への反抗」から始まる事が多い。

似たような例は「メタルギアソリッド」「ゼノブレイド 」「テイルズオブ〜」など様々ある。例え主役方が体制側でなかったとしても、(プレイヤーがある程度納得できる)正義に沿って主人公達は行動する事が殆どである。

「悪役」のロールプレイが「できる」作品であったとしても、「あくまでシナリオの主流は『善人』として進む事を想定していて、悪人プレイは一種のif展開」として描いている事が多い。
または女神転生シリーズのように「正義の裏面はもう一つの正義」として、思想を違えての裏切りを「悪行」とは思いにくい様な設計になっていることもある。

2000年代〜10年代のあたりは創作の在り方に色々メスが入れられた時代だった。
ゲームという娯楽においても「主役方の正義が揺らぐ、又は否定される展開」「敵味方双方の解像度(暗黒面含めて)を高めていく描写」と、「善悪」への疑問は掘り下げられていったように思う。

それでも、ゲーム内の世界で「善業を成す事がゲームクリアへの道筋」という設計は、いまだ『基本』として崩れていないように思う。
(悪行を半ば薦めるゲームも勿論有名だが、あくまで「邪道」としての評価であると思う)

○「リターン」から見た善人プレイ

「娯楽」という視点から「善人プレイ」を考えてみると、「リターン」を描きやすいというのが大きいかもしれない。

「娯楽」の楽しみの根幹は、大抵「リスクとリターン」の駆け引きにある。
ゲームで駆け引きというと格ゲーでの技の択や読み合いを考えがちだが、寧ろ「善業」が齎すリスクリターンの方が余程影響が強い。

  • 村を苦しめているモンスター退治を請け負う→リスク

  • 見事成功させて、感謝する村人から報酬をもらう→リターン

というように、「善業」はゲーム内で繰り返されるリスクリターンを「納得」させることに大きな効果を持っている。
プレイヤーが毎日行っている労働や勉強だって苦労やストレスといった「リスク」を強いるし、それを全うすれば知識や給料といった「リターン」を保証されるからだ。

「悪人プレイ」だと意外にこうは上手くいかない。
もちろん悪人プレイで善人よりも多大なリターンを得ることはできる。(盗みを働いたり、他人の物を返さずに着服したり)
しかし、そこには善業に対するリスクとは別種の、「悪行に対する報い」という大きな危険が伴う事が殆どだ。

不思議のダンジョンで盗みを働けば倍速超強化の店員に蜂の巣にされるだろうし、幾ら無法のバイスシティでも盗みや殺人を繰り返せば警察は愚かFBIや軍隊に付け狙われる。

理由もなしにNPCを害すればフラグが折れたり、または処罰目的のPKに狙われたり…と、「悪行」に対して何のリスクも設けていない、というゲームは意外に多く無い。

勿論、「悪行」に対するカウンターを設けておかないと倫理的な理由で不味いという理由もあるかもしれない。
しかし、それ以上に「悪人プレイ」に対して重いペナルティがあるからこそ、多くのプレイヤーが「打算的に」善人プレイに進めるという一面も、意外に大きいのかもしれない。

誰だってピンと来る理由なしに、頭から「これは正しい事!悪い事!」と決めつけて押し付けられたら反発もしたくはなる。しかし、「こうすれば比較的安全に利益を稼げますよ(ルールを破ると重い罰則を受けかねませんよ)」だと、じゃあ守ってやるかと言った思考に誘導される。

意外に、昔から話題になる「ゲーム非行論」への有効なカウンターになっているかもしれない。

○「正義」というロールプレイの魅力! 

とまあ、リターンの面から「善人プレイ」を語ってみた。
だけど、善人プレイが昔からの「王道」になっているのは、もっと簡単で単純な理由だと思う。

即ち、「カッコいいから」だ。

もう何度も何度も使い古されたテーマだけど、「魔王討伐」「モンスター退治」「祖国解放」なんて大それた善業に、現実世界で取り組む酔狂者はまずいないだろう。
起こり得ないというのも然りだが、もしそんな状況に置かれたとして、勇気を持ってそんな難事に挑む人間は、世界中に一体どれだけの割合しかいない事か。

良くも悪くもだけど、ほぼ全ての人間は、もっと小さな悪事にだって我が身可愛さや無関心のために見てみぬふりを選ぶ。選んでしまう。
だけどそういう人達も頭から善意や正義を軽んじている人だらけでもなく、そう言った概念に憧れや妬みを持っている事が、実際は殆どだ。

そんな中、「勇気を持って正義を執行する」事を真剣に描く事ができる創作が人類に持て囃されたのはある意味当然だと思うし、幾ら逆張りが流行っても、一定以上の人気を保ち続けたのも当然の道理だとは思う。

「ロールプレイ」が遊びの本質だと見れば、白にも黒にもなりきれない俺ら凡人が現実で成し得ない善業を体験するのは、やっぱり楽しいしカッコいいんだ。


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