難易度と選択肢の相関について。

俺は比較的、難易度が高いゲームは苦手ではない。だけど「縛りプレイ」は嫌いだ。

意外といえば意外だが、「難易度の高さ」と「選択肢の狭さ」は別に比例しない。というか、名作と呼ばれる多くの作品では反比例することもある。

代表例はダークソウルだろう。
死にゲーの殿堂とも謳われる高難度ゲームで、現代のゲームとは思えないほどに不親切や理不尽も多い。

だが、取れる選択肢は異様なほど広いのも事実である。
例えばキャラビルド。鉄鎧で固めた物理特化型の騎士にしても、ローブを纏った魔法使いにしてもクリアの芽はちゃんと用意されている。
一言に「騎士」「魔法使い」と言っても「脳筋」「技量型」「上質」「粗製」「純魔」「聖職者」「呪術」と基本的な系統だけでも幅広く、ソウル稼ぎを許すなら幾つかの進路を並行することも選択肢に入る。

シリーズを追うごとに淘汰された点もあるが(悪いことばかりではない)、1に至っては攻略ルートすら自由だった。
順当に不死街に上がって教会へ進むもよし、渓谷を降りていって初手病み村に向かうもよし。アノール・ロンド以降の王のソウル探しもだいぶ融通が効く。

亜種であるブラッドボーンやSEKIROでもこの選択肢の広さは随所で残されているし、オープンワールドを採用したエルデンリングはいうに及ばない。
この「自由度」、もとい「選択肢の広さ」はソウルシリーズを不動の地位に置いた最大の竜の一つであると思っている。

思うに「高難度」とは「山を登る」行為に近いのだが、選択肢の広さとはその高い山に「どうやって登るか」の視野を広めてくれるものだと考えている。
現実の山登りではあり得ないだろうが、初見では順当に登る事すら難しい山を「自分が良いと思える方法で」踏破できる様になることは、娯楽にしか味わえない快感をもたらしてくれる。

もちろん、あえて選択肢を絞ることでゲームとしての本質的旨みを凝縮するやり方はあると思う。
だけど、「選択肢を減らす」やり方をプラスの結果に結びつけるのは、相当のセンスがないとできないことだと思う。

特にありがちな失敗例としては「以前使えていたやり方が使えなくなって重いストレスに繋がる」というケース。
長く続いているシリーズ作では特に問題になりやすい要素であり、これが原因で衰退していったシリーズも少なくない。

現実ではない世界を楽しむ娯楽だからこそ、たとえ高難度であっても、自分の思うままのやり方で生きていきたいんだなぁ、と思う。

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