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短編小説Only

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普段は長編小説を書いていますが、気分転換に短編も書いています。でも、この頻度は気分転換の枠を超えている。 短編小説の数が多くなってきたので、シリーズ化している(別のマガジンに入っ…
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#電車

【短編小説】『湘南台』行きの電車

俺は、橋の上から、目の前に広がる海を見つめていた。 橋の欄干にもたれて、風に吹かれて、潮の香りを嗅いでいると、今自分が置かれている状況を忘れられる気がした。 朝、自分が乗るはずだった電車が、人身事故で運転見合わせとなった。運転再開の目途はたたず、駅ホームに立ち尽くした俺は、その場で会社に休みの連絡を入れ、逆方面の電車に飛び乗った。 その電車の行き先、『湘南台』という言葉に、海が見たいという気持ちを引き起こされたからだった。 だが、『湘南台』という名前に見合わず、終着駅の

【短編小説】私達の距離は電車のドア二つ分

朝、駅のホームでいつもの電車を待っていると、隣の白線で示された箇所に、彼が立ち止まった。私が顔をあげると、こちらを向いた彼と視線が合う。お互いに軽く会釈をすると、そのまま視線を逸らした。 毎日、朝、同じ場所で、同じように電車を待ち、ホームに滑り込んだ電車に乗るのに、私達は言葉を交わしたことはない。 私が彼の存在を認識するようになったのは、3ヶ月前。 彼が背負っているバッグがあまり見たことがないもので、自分でも欲しいなと思ったからだった。黒のボックス型のものだったが、ブラン

【短編小説】僕の目は、君の姿を捜してしまう。

もう、彼女に会ったのは、1年以上前の話で、昔の知り合いに偶然出会うということは、所詮、物語の中だけだと分かっている。でも、通勤時、彼女の最寄り駅に電車が到着すると、ホームに目を走らせるのを、止めることができない自分がいる。 彼女は、職場にいた同僚の中で、唯一、通勤に使う沿線が同じだった。そのおかげか、職場から自宅に向かって帰る際に、一緒に電車に乗る機会が多かった。電車の中では、仕事の話は思っていた以上に少なくて、お互いが家に帰ってから何をしているとか、今ハマっていることは何

【短編】指輪の行方

やってしまった。 私は、ホームドアの上から、線路を覗き込んだ。 線路の間の床の上に、銀色の輪が見える。 少なくとも落ちた場所が確認できてよかったと安堵する。 今日は、昼休みに会社近くのヨガスタジオに寄って、レッスンを受けてきた。レッスン時は、指輪の類は全て外している。汗を掻くので、気になってしまうからだ。 そのまま午後仕事をし、今は仕事帰りだった。駅のホームの隅で、外していた指輪を着けようとしたら、手が滑って、指輪が落ちた。 指輪はそのままホームの床の上を転がり、ホームド

【短編】はしたない!

その日、私はとてつもなく疲れていた。 前日、社内のメールサーバーがトラブって、その対応に追われ、家に帰ったのが終電間際だった。 寝るのが普段より遅く、朝だというのに、疲れを引きずっていた。 幸い、通勤時、私はある路線の始発駅を利用していたから、どんなに混んでいても、一本待てば必ず座ることができた。 私がその日に座ったのは、車両の隅にある3人掛けの中央だった。 疲れは、眠りを呼ぶ。 電車の揺れもそれに拍車をかけ、私は瞼を閉じた。 「はしたない!」 頭の上くらいから発せられ