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禁じられたアソビ

 僕にとって禁じられたアソビは、「飲酒」よりも「喫煙」だった。
 「禁じられている」からこその「アソビ」であり、そこに「法」や「社会」は存在しなかった。
 特に、「喫煙」は、当時僕が一人になるための道具でもあり、「ともだち」との関わり合いの道具でもあった。
 そもそも、「喫煙」のきっかけが「ともだち」だったのだが、やがて一人になり、「現実」を何とかしようとするための、自分なりの「抵抗」のための道具になった。
 その時「何とかしょうとした現実」は、もうここにはないし、それは今の私にとっての「リアル」ではないのだが、あの時の感覚は今でも覚えている。というか、喫煙習慣が戻ってきて、体が、心が、その当時の状態を思い出しているようだ。
 だから、私の「アソビ」は、徐々に変化していくのだが、時としてその「アソビ」に「ともだち」がふと現れる。それは、時を越える。
 簡単に言えばこう言えるかもしれない。「自分」は変えることが出来ない。変えようとすればするほど、辛くなってしまう。「自分は変わった」という「錯覚」が、「自分」を「不自由な檻」に閉じ込めてしまうかのようだ。
 ただ、その封印は、自分を閉じ込めてしまうことは、現代において珍しいことではない。
 周りを気にしすぎる節があるので、もうこのような文章は、本当は書きたくないのかもしれないが、ふと、過去の私が顔を見せてきたので、とても懐かしい気持ちになった。
 「こんにちは、懐かしい私」

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