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【#ハルナツ2】幸だ不幸だと決めつけるなかれ

私達は私達以外を自分のものさしであーだこーだと決めつけたがる、いや、そうせざるを得ない傾向にある。

それは人間の幸不幸も同じ。あの人は幸せだよね、あの人は不幸ね、と軽々と判断してしまうのはよろしくない。

幸せと思われている人にも不幸はあり、不幸と思われた人にも幸福は訪れる。

例えば今回私はあまり幸せには思えない女性たちを多く描いた「春に思い出す、夏の君はもう遠く」という作品を書き下ろし、もう来週から上演するべく今は稽古稽古の日々です。

これは初演のリメイク、リブートによる再演だが98%ぐらいは初演台本を見ずに書き下ろしており、初演で描いていなかったことや、初演とは意味が異なるものを押し出している。

不倫をされる妻がおり、姉に勝てないとわかりながらもその旦那と不倫をする妹がおり、好きな人を手に入れるためには手段を選ばない女の子もおり、親友でありながらも自分の中にぷつぷつと湧き上がる闇を感じ一人葛藤する女の子もおり。好きな人の心が遠く離れ、むしろもう敵意すらむき出しにされる女の子もまた。

見方によってはほとんどの人間が不幸のようにも見え、苦しみの真っ只中にいるようにも見える。

しかし、それは勿論誰かしらのものさし、さじ加減、先入観などが起因としている。

妻は本当に不幸なのだろうか。妹に大切な夫を奪われかけて不幸だというのだろうか。夫の心はまだ彼女に側にある、どんなに喧嘩をしたとしても、彼女の不機嫌さをそのまま受け止める夫に、ああ、私はまだ幸せなのかも知れないと、幸福感は一ミリも生まれないのだろうか。

姉から夫を奪おうとする妹は幸福ではないのか。恐らく彼は妻と、自身の姉と離婚はしてくれない、そんなことを心のどこかで、頭の片隅で理解、認識してはいるだろうが、一緒にいられることそれ自体を幸福と思わないだろうか。

人気者である親友に劣等感を感じ続けていたとしても、耐えられない言動を繰り出す彼女に苛立ちを覚えたとしても、一緒に食事したり遊んだり、時には勉強をしたり、ROUND1で楽しむ関係は意味がないもの、辛いものでしかないのだろうか。

好きな人が自分以外の女性とばかり付き合っているのを知っても、きっと大丈夫、私は彼のカノジョなんだから、そうやって自身に暗示をかけて、なんとか精神が崩壊するのを回避してきたのに、彼は優しくしてくれなくなり、直接的な言葉で彼女を否定したとして、一縷の希望もないのだろうか。

つらつらと並べてきたがこれもまた私が男であり、作者であり、この作品では描かれていない彼女たちのその後をそれなりに見えているからの発言になっているのかも知れない。

しかし、私は思う。人の幸福はその人にしかわからない、人の不幸はその人にしかわからない、推察する、想像する、そういうことは出来たとしても彼あるいは彼女以外には当事者にはなれない。

人の思考、考え方、感じ取り方は今まで生きてきた、育ってきた環境、歩みそれらによって培われるものだ。

この作品を観て頂いた方は誰かしらに共感して怒りに駆られるかもしれないし、そうではないかもしれない。でもその思いが本当にそうであるのか、彼あるいは彼女に成り代わって色々と考えてみてほしい、それがこの作品の役割なのだと私自身は考えています。

9月9日(水)~9月13日(日) 池袋 シアターKASSAIにて劇団皇帝ケチャップ第10回本公演「春に思い出す、夏の君はもう遠く」

詳細は劇団Twitter公演サイトでもご確認いただけます。また劇場での観劇が難しいという方にはDVDというご観劇も準備しておりますのでご利用下さい。

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