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無視できの備忘録 #2

またまた脱線するかのようにアマゾンプライムで何度目かわからないぐらい観ている映画『海街diary』をあることを調べるために視聴した。

ことあるごとに私はこの作品のような物語を書きたいと言い続けているのでいつか書けるといいなと思っている。3姉妹ものとか4姉妹ものとかのことである。

脱線しているようで脱線していないのではあるが、今回も姉妹が登場する。主役の三原桜には2歳ぐらい年の離れた姉がいる。憧れを抱きつつも絶対に勝てない相手であり、乗り越えられない壁である。

調べ物というのは姉妹はお互いに何と呼び合うかについてである。〇〇ちゃんと姉のことを呼ぶ人もいれば、お互いに名前のみでちゃんもさんもつけない人もいる、らしい。とは言え状況、環境、ケースが変われば呼び捨て同士の姉妹も姉さんとか言ったりもして。どうやらこれには正解はないがそう呼んでもおかしくない関係性、状況であればなんだっていいような気がした。

私にも1、2回会ったことがある弟がいるが、果たしてそれは弟と呼ぶべき関係なのだろうか。恐らく二度と会うことはないだろうが、だいぶ歳もいってることだろう。私もだいぶいっているのだから。もし再び会うことがあったとしても関係、距離から考えて名字で呼ぶ程度に遠い存在である。だが残念ながらお互いに同じ名字なので再会はご遠慮したいものである。

話を改めて戻すとしてこの登場する姉妹。私はなかなかに気に入っている。遠慮のない姉妹という距離感。とは言ってもお互い言い出せない言葉もある。それを気軽に言ってしまえばと思うのはたいていが外野席の人間である。それで壊れる関係性もその程度と言ってしまえばそれまでだが、この二人であれば壊れても翌日にはけろっとしているのではないだろうか。そういう関係修復の速度は家族なんじゃないかって思う。友達となるとそうはいかないだろう。じゃあ友達みたいな姉妹はどうなのだろうか。。。

私はこの姉妹の距離は近いものであり、姉のことを〇〇ちゃんと呼べる距離だと、そうあってほしいと思いつつ桜が姉の裕香を呼ぶ時、ゆうちゃんと呼ばせることにした。まあ、ここに行き着くまでに何十通りの検討はしているのだが、まあ、芝居を作っていく際になんか違うなと思ったらそのときは再検討しよう。ちなみに裕香が妹を呼ぶときは桜とした。

妹のことを心配している素振りは一切見せない姉。実際には心配ではらはらしていて、妹以上に妹の未来を考えている節のある姉・裕香。

成功している姉の存在が重く、普通に話しているつもりでも心のどこかでもやもやしているがそのもやもやの正体を突き止められないでいる妹・桜。

憧憬と嫉妬は紙一重である。ただの憧憬と思っていたらそれがただの嫉妬心にほかならないと気づいた時、自身の醜さと対面することになる。その憧れの人が身近な姉であったとして、関係を同じままにできるだろうか。自分が目標とすべき場所にすでにいる姉に弱音を吐くことはできるだろうか、頼ることはできるだろうか。

この物語がどの場所に行き着くのかもまだ霧の中である。

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