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自分の頭で考えるとは

「教育は洗脳だ」

いろんな人が言っているけれど、本当にそうだなぁと思う。

善かれ悪しかれ、子どもは大人に洗脳される以外に、成長することはできない。
どんな大人に出会うのか、どんな親に出会うのかが子どもにとっては大きな影響を与える。

宗教とは何かと言ったら、自分が信じる何かだろう。
大人に洗脳されることから逃れられないとしたら、自分が信じている何かは、本当に自分で選んだものなのだろうか。
自分が信じたものを宗教観と言うのなら、様々な宗教観がそれぞれの個人の中にあるということになる。

日本人の多くは無宗教だと言うけれど、それは、仏教とかキリスト教とか大きな宗教観を持つ人は少ないということなのかもしれない。
でも、それぞれの中にそれぞれの信じるもの、宗教観があるのだ。

さて、それを認め合うということは可能だろうか。
これはなかなか難しいような気がする。

世界中で宗教が原因で紛争が多く起きているのと同じように、日本だってネットを見れば、あれが正しい、それは間違っているの大合唱だ。

その宗教観は本当に自分の中から生まれたものだろうか。
多分違う。
色々なものに洗脳され、影響されてできたものであろう。
その中から何かを自分が選択したにすぎない。

では、自分の頭で考えるということはどういうことなのだろう。

こういった、これまで受けた洗脳や受けてきた影響から自由になることだろう。

そんなことが可能なのだろうか。

もしそれが可能だとして、自分の宗教観から自由になり、自分の考えで生きる人が増えたとしたら。
他人との考えの違いを認め合うことができるようになるのかもしれない。

というところまでが今日考えたことです。

おやすみなさい。


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