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noteを毎日書くと決める

なぜ書くようになったのか、第11回です。

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僕の中で確固たる自信ができたわけではないのですが、もうこりゃ書くしかないだろうという感じになってきました。

さて、どういう場で書くか。

noteというサービスは前から知っていて、書くならここかなと思っていました。ブログなどをやったとしても誰が見てくれるのか分からないですし、noteはなんだか文学畑方面の人が多そうだなと思ったからでした。

でも、本名で書く勇気はない。
ペンネームを実は前から考えていました。
「むらいこうた」という名前は実はペンネームでして、本名はすごく地味な名前なんです。

編集ライター講座に来てくれた作家の深沢潮さんもペンネーム。その時、僕が質問したのは、ペンネームはやはり便利かどうかということでした。
深沢さんは自由度は高まるといっていました。

で、実際どうかというと、自由度は高いと感じています。

SNSなどで書いていた文章は、やはり自分が誰で、あいつがこんなことを書いているぞとわかって読まれるという意識がどうしても出てきます。
すると、なんとなく、あまり変なこと書けないなという感じになってしまうんですよね。

「むらいこうた」なんて誰も知らないです。
(僕もよく知らない。)
知り合いにもnoteで僕が書いていることなんて誰も知らない。
自分のまったく知らない人が僕の文章を読んで何かを感じてくれる(かもしれない)。
それがどんなことになるのか興味津々でした。

こうして2016年1月1日、noteをスタートしました。

そしてなぜか、毎日書くことを自分に課すことにしたのです。

ほぼ日の糸井さんがやっていることを真似して、どんなことなのか体験してみたいというものもあったと思います。
書いて書いて書きまくることが、文章がうまくなることにつながるだろうという意識もありました。質よりも量というやつですね。
それから、自分の無意識を掘る作業は継続的に淡々とやる方がいいだろうという考えもありました。

そんないろんな複合的な理由があって、毎日書くということを決めたのだと思います。

しかし、これが思った以上に大変なことだったのです。
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続く


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