[ 幻影 第9話 ]
私はこの歳になって初めて人生を知ったような気がした。
誰もが巡り合わせに恵まれる訳ではない。
ここまでやりたいと思える麻雀があるのは途轍もなく恵まれている事じゃないか。
そして、自分が才能を発揮してきた世界と掛け離れた社会で生活できるほど強い人間は居ない……。
別に牌の道を究めたいとか、名を残したいとかそんな立派な事じゃない。
ただ、ストリートで勝ちたかった。
意味なんて在りはしない。理由も、無い。
ただ、麻雀に関しては誰にも一歩も引きたくなかった。
卓の中で誰かに媚びたり平伏すことなど許せなかった。
麻雀は二度とやらない。仕事は必ず続ける……。
私はうわ言の様に毎日呟き、自分の中に湧き上がる衝動を抑え続けた。
その想いは昼夜のみならず眠っている間も私を苦しめた。
だが、雀友にも橋健にも、ましてや真梨香に打ち明けられる悩みではない。
私の行き詰まりは限界に達していた。
弁護士事務所で事務員兼、補助者として働き、夜と土日は司法試験の勉強を続けた。
新しい年も明け、レフティと馬場で飲んだ帰りのことだった。
翌日が休みで、終電も終わっていたので奴の巣でもう少し飲もうという事になり、私たちは早稲田通りを大学方面へ歩いていた。
すると、奴が一軒の店の前で立ち止まり、私の方へと振り返る。
そこはもう4~5年前になるだろうか、奴と一度来た事のあるフリー雀荘だった。
「こんな夜中なら知り合いは居ないだろうし、俺は今日の事を誰にも話さない」
目を丸くして立ち尽くす私にレフティが言葉を続ける。
「もう、いいんじゃないか?」
レフティがいつものように煙草を吹かしながら、憐憫とは違う優しげな視線を私に投げかけて来た。
私は無言で窓の隙間から漏れている店の明かりに目を向けた。
さすがにジャラジャラと牌の音までは聴こえてこないが、独特の気が発せられている。
思わず、咽を鳴らした。
あの日から、もう300日近く経っている。
換言すれば、300日麻雀の事を想い、苦しんで来た。
あそこまで上がって、何万回とやってきた“アレ”をすれば大抵の問題が片付く。
「どうする、打っていくか?」
レフティの気遣いは私にも痛いほど判る。
だが、私は搾り出すような声で言った。
「打つ……、わけには行かない」
私はレフティを促して、再び歩き始めた。
奴もそれ以上何も言わず、朝まで二人で酒を飲んだ。
その日、私はへべれけになるまで酒を飲んだ。
そして、昼前に帰宅し、突っ伏したベッドの中で麻雀をやめた“本当の理由”を思い出していた。
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